日本を「糖尿病」から救った男! インスリン研究の知られざる天才・福屋三郎と大日本帝国軍の闇
■天才現れて革命始まる
昭和14年3月28日、静岡県清水市で魚の食品加工を営んでいた清水食品に1人の男が入社しました。彼の名は「福屋三郎」。水産講習所を卒業したばかりの新卒であった。入社後すぐに清水食品インスリン研究室室長に任命され、3人の助手と共に研究を始めました。
清水食品が扱っていた魚をインスリンの原料としたことは、哺乳類の家畜より大きな利点がありました。哺乳類のランゲルハンス島が臓器の中に分布した細胞片であるのに対して、魚類のそれは密集して独立した臓器です。コリコリとしてつまみやすく、コツさえ掴めば非熟練の女子工員でも簡単に魚のハラワタからランゲルハンス島を分離することができました。また、タラ一匹から20単位のインスリンが抽出できたので極めて効率の高い素材でもありました。
ちなみに、当時のインスリン20単位の値段は魚屋で売っているタラ一匹の40~50倍です。
福屋は廃棄される魚のハラワタから、ピクリン酸とアセトンを使ってランゲルハンス島からインスリンを抽出する方法を編み出しました。大規模な工場も高価な設備もいらず、戦時下の日本で入手困難な原材料も大量のマンパワーも必要無い完璧な抽出法でした。
昭和16年5月14日に清水食品と武田薬品と三菱財閥から資本金19万円の出資を受けて清水食品製薬部は独立し、魚を原料にした純国産インスリンを製造するため社員14人の小さな会社「清水製薬」を設立しました。
設立後、すぐに生産ラインが稼動を始め、昭和16年7月には出荷を開始しました。インスリンは武田薬品の流通網によって全国販売されました。
魚から抽出されたインスリンは当時の漁獲高から計算して、当時の日本の必要量年間730万単位の66倍ものインスリンが生産できることになります。しかも、小さな工場で安価に大量生産が可能で、庶民にも手の届く完璧な薬でした。ついに糖尿病は「金持病」ではなくなったのです。
昭和16年7月~昭和17年5月までの営業報告によれば、50単位で77銭、出荷数13,999本、100単位で1円28銭、出荷数7,050本とのことです。大正13年の8円から一気に1円28銭にまで値下げに成功しています。この当時のインフレ率の高さから考えれば、実質10分の1以下にまで値下げされたといえます。そして、インスリンの生産量は伸び続け、頂点となる昭和19年には1社2工場で国内需要の57%にもなる420万単位を供給するまでになりました。
まさに、戦火の中で清水製薬のインスリンは糖尿病患者の命綱となったのです。
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2024.10.02 20:00心霊日本を「糖尿病」から救った男! インスリン研究の知られざる天才・福屋三郎と大日本帝国軍の闇のページです。糖尿病、インスリン、福屋三郎などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで