日本を「糖尿病」から救った男! インスリン研究の知られざる天才・福屋三郎と大日本帝国軍の闇
■異世界転生者疑惑?
なんか、福屋三郎さんがチートすぎるんですけど。
入社日が4月1日ではなく3月28日なのは、清水食品の社長がその腕前にほれ込んで「1日も早く来てくれ」と頼んで卒業式の翌日から入社させてしまったせいだと社史に書かれています。
福屋さんが在学していた当時の水産講習所は、4年制の専門学校という位置づけで大学に準ずる教育機関でした。後の東京水産大学(現・東京海洋大学)の前身でもあり、当時としては難関校の一つです。
水産学を専攻した20代前半の青年が入社後にいきなり研究室長に抜擢されて、2人の女子従業員と1人の助手だけで、小さな建物一つの研究所でろくな設備も予算もなしに一年半で完璧な薬を完成させて、その半年後には、大手製薬会社と財閥を口説いて大量生産の工場作らせて日本中に行き渡るようにしたとか……それも戦時中にですよ。
研究始めたのが昭和14年で、昭和16年7月には製品を出荷して、論文発表が昭和16年8月って、すごいハイペースなんですけど。しかも、論文の発表日よりも製品を出荷している日の方が早いんですけど。時系列おかしくないですか?
当時の新聞でも福屋三郎の功績を取り上げていますが、学位を持っていなかったため「福屋三郎技師」と書かれています。
確かに金持が大量に欲しがる薬がタダみたいな原価で安い設備の工場で大量生産できたら、儲かって笑いが止まらないから大手製薬会社と財閥が乗ったっていうのはわかるんですけど……。水産化学という分野は、魚類を食品以外の医薬品などに利用する研究を行う学問ですけど……。
福屋さん異世界転生者かなにかですか? 現代の研究者は福屋三郎さんを見習って研究費がない、人手がない、時間がない、とか文句いったら甘えですか?
国産インスリンの最大の功労者である福屋さんは、昭和19年6月1日付で中部第三十六部隊に召集され、一等兵となりました。その後、中部第三十六部隊は満州へ送られ、終戦を迎えるとソ連軍の捕虜となり、シベリアに送られたとの記録があります。シベリアから帰国できたとの記録は無く、福屋三郎一等兵が何時どこで死んだのかも記録はありません。
大日本帝国陸軍は若き天才科学者を、無知にも兵士として戦地に送ってしまったのです。
福屋さんは役目を終えて異世界から元の世界に帰ったのでしょうか。きっとそうだと信じたいです。
参考:「清水製薬五十年史」ほか
後編は戦時中に活躍したこれまたチートなスーパードクターと国産インスリンの後日談。知られざる戦争の悲劇が明らかに……
後編はこちら!
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2024.10.02 20:00心霊日本を「糖尿病」から救った男! インスリン研究の知られざる天才・福屋三郎と大日本帝国軍の闇のページです。糖尿病、インスリン、福屋三郎などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで