日本人なら知っておきたい「インスリンを広めた天才たちの悲劇」 ― 命を賭けて糖尿病患者を救った三井二郎左衛門、福屋三郎

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【薬理凶室の怪人で医師免許持ちの超天才・亜留間次郎の世界征服のための科学】

 知られざる日本の糖尿病秘話。今回は戦火に消えたスーパードクターと戦後に意思を引き継いだ人々の感動秘話。
前編はこちら。

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画像は「Getty Images」より引用

■スーパードクターM

 福屋さんが徴兵されていなくなった後、日本の海はアメリカ軍に制圧され漁業は不可能となり、インスリンの原料である魚が入手できなくなって生産はストップ、陸軍は清水製薬を勝手に指定工場にして、全ての在庫を押収、海軍は鳥居薬品の工場を押収していきました。

 インスリンが手に入らなくなることが知れ渡ると、金と権力のある糖尿病患者の間で奪い合いとなりインスリンの値段は暴騰し、再び「金持病」へと逆戻りします。

 秋葉原駅から徒歩7分のところにあり、貧困者を無料で治療してくれる三井厚生病院には大量のインスリンの在庫がありました。その在庫の存在を聞きつけると、金持ちからヤクザまで、札束やドスをもって病院に押しかけてきてインスリンを手に入れようとしたのですが、

「ここにある薬は全て貧しき者の為、金持にやる薬はない」

 と言って全て追い返した医師がいました。

 その医師こそ、東大医学部を主席で卒業し、20代で博士号を授与され柔術の達人で、現代の金額換算で年収100億円以上ある日本最大の財閥の御曹司で、貧しい患者から一銭も受け取らず最高の医療を施してくれるスーパードクターMこと三井二郎左衛門というチートキャラです。

 ちなみに内科医なのでメスを投げたりはしなかったようです。

 スーパードクターMは莫大な個人資産をつぎ込んでインスリンを購入し、貧しい糖尿病患者に無料で与えていました。 限られたインスリンの在庫をやりくりするために、飢餓療法とインスリン療法を交互にくり返し、戦争が終って再び薬が手に入るまで延命させる治療方針を取ったのです。

 多くの医師と糖尿病患者が、「大丈夫、清水港に福屋三郎という天才科学者がいるから、戦争が終ればすぐに薬が手に入るから、もうすこしの我慢だ」と儚い希望にすがって痩せ細りながら命をつないでいました。肝心の福屋三郎が一兵卒として前線に送られてしまったことも知らずに……。

 そんなスーパードクターMもB-29には勝てず、昭和20年3月東京大空襲で病院に爆弾が直撃して病院の建物は全焼、インスリンもスーパードクターMも全て失われてしまったのです……。

 その後、昭和20年7月7日、空襲により静岡県清水市のインスリン工場が焼失、最盛期には国内需要を満たしていた国産インスリンの生産は完全に終ったのです。

 インスリンが無かった時代の1型糖尿病患者は発症後、数年以内に糖尿病性昏睡で死亡しており、生存年数は3年以下と言われていたので大半が製造再開まで生き残れなかったでしょう。

 彼らもまた、知られざる戦争の犠牲者なのです。

コメント

1:井上眼科(笑)2019年1月10日 02:56 | 返信

進行する糖尿病。恐い病気。

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