日本UFO史上最重要人物・松村雄亮! 北欧系宇宙人と喫茶店で●●… 元懐疑派カルトリーダーの謎

日本UFO史上最重要人物・松村雄亮! 北欧系宇宙人と喫茶店で●●… 元懐疑派カルトリーダーの謎の画像3イメージ画像:「gettyimages」より

■日本UFO史の夜明けとともに

 松村は1929(昭和4)年11月25日、横浜に生まれた。

 父・信雄が航空関係の仕事をしていたこともあり、小学校時代に旧満州に渡り、16歳で「満州航空」の乗員訓練養成所に入所した。終戦後は一旦シベリアに抑留されたようだが、1946年に日本に戻り、その後は国際的な航空雑誌『インタラビア』の日本特派員となった。

 かの有名な「アーノルド事件」が発生し、UFOの存在が世界に認知されたのは、松村が帰国した翌年、1947年のことだった。世界中の航空情報に接する立場にあった松村は、早くからUFOの存在を知り、この現象に興味を抱いた。そこで彼は、空飛ぶ円盤研究グループという研究団体を結成し、英文の『UFO News Report』という機関誌を発行し始めた。

 やがて荒井欣一を会長に「日本空飛ぶ円盤研究会」が結成されると、松村の団体もこれに協力し、松村本人も機関誌『宇宙機』に何度も寄稿している。1957年、日本のUFO研究団体が連名で発出した「宇宙平和宣言」にも、松村は名を連ねている。

 松村が1957年1月16日に撮影したUFO写真は、他の団体からも高く評価されることになったが、この頃の松村はアダムスキーなどのコンタクト・ストーリーに対しては懐疑的であり、荒井欣一がアメリカのコンタクティー、バック・ネルソンの紹介記事を『宇宙機』に掲載しようとしたところ、「この人物は怪しいからやめた方が良い」と忠告したのも松村だった。


 CBAの結成は、1957年8月のことだった。

 設立したのは松村の他、久保田八郎、小川定時、桑田力、橋本健、小川昌子の計6名で、設立の趣旨としてコンタクトを肯定し、宇宙人との友好関係に入ることを目標に掲げていた。

 コンタクトには否定的であった松村が、なぜこのような団体の設立に名を連ねたのかは明らかでない。あるいは、荒井欣一や高梨純一といった他の研究家に対するライバル意識が背後にあったのかもしれない。いずれにせよ松村には、その豊富な海外ネットワークを利用した情報収集とその提供が期待されていた。

 ところが、そうした松村が、冒頭に述べた事件を機に、なんと自ら宇宙人とコンタクトし、以後は「コンタクトマン」としてCBAを率いることになるのだ。

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