沖縄近海、水深4900mに眠る“水素爆弾”。米国が24年間隠蔽した「核兵器水没事故」とは

沖縄近海、美しい海の光も届かぬ水深4900メートル。そこに今も、一人のパイロットと一機の攻撃機、そして広島型原爆の数十倍もの威力を持つ水素爆弾が静かに眠っている――。
これはSF映画の筋書きではない。1965年12月5日に実際に発生し、20年以上もの間、国家の最高機密として隠蔽されてきた核兵器紛失事故、コードネーム「ブロークンアロー」の紛れもない事実である。
消えたスカイホークと“幻の核爆弾”
その日、ベトナム戦争の任務を終え、日本の横須賀港を目指していた米海軍の空母「タイコンデロガ」。艦上では核兵器の搭載訓練が行われていた。
悲劇が起きたのは、午後2時過ぎ。B43核爆弾を搭載したA-4Eスカイホーク攻撃機が、甲板へ上がるためのエレベーターに乗せられた、その時だった。機体は突如バランスを崩して滑り落ち、必死に食い止めようとする乗組員たちの努力もむなしく、パイロットのダグラス・M・ウェブスター中尉を乗せたまま、エレベーター横のネットを突き破り、暗い海へと転落していった。

直後に行われた捜索活動は、ヘルメットの回収のみに終わり、機体とウェブスター中尉、そして搭載されていた1メガトン級のB43核爆弾は、深海の闇へと完全に姿を消した。米国防総省が「ブロークンアロー(折れた矢)」と呼ぶ、核兵器の紛失という最悪の事態が発生した瞬間だった。
24年間の沈黙。暴かれた国家の嘘
この重大事故の事実は、その後24年近くもの間、固く閉ざされた秘密の扉の奥に封印されることとなる。米国政府は当初、事故の事実を一切公表しなかった。1981年になってようやく核兵器の紛失を認めたものの、その場所は「陸地から500マイル(約800km)以上離れた太平洋」と、意図的に事実とは異なる説明がなされた。
しかし、真実は永遠には隠し通せない。1989年5月、グリーンピースなどの研究者たちの地道な調査によって、ついに事故の詳細が白日の下に晒される。事故現場は、太平洋の真ん中などではない。鹿児島県の喜界島からわずか130kmほど東の、沖縄近海だったのだ。

この衝撃の事実は日本中に激震を走らせた。唯一の戦争被爆国として「非核三原則」を国是とする日本の領海すぐそばで、水爆が失われていた。しかも、核兵器を搭載した米空母が日本の港へ向かっていたという事実は三原則の根幹を揺るがす大問題であり、国会でも激しい議論が巻き起こった。
水深4900mのタイムカプセル。今も続く問い
事故から半世紀以上が経過した今も、スカイホークとB43核爆弾は、水深4900メートルの海底で横たわっている。その回収は現代の技術をもってしても事実上不可能だ。
米国政府は「環境への影響はほぼない」とし、核爆発の危険性も低いと説明している。しかし、それは本当だろうか。深海の巨大な水圧に耐えかね、いつか放射性物質が漏れ出す危険性はないのか。そもそも、失われた核爆弾は本当に1発だけだったのか。ロスアラモス国立研究所の資料には、2発だった可能性を示唆する記述も残されており、謎は完全に解明されたわけではない。
沖縄近海の底に眠る核爆弾は、冷戦という時代が生み出した「負の遺産」であり、私たちに核兵器管理の恐ろしさと難しさを突きつける、静かなる警告の象徴だ。私たちは、この海底のタイムカプセルが語りかける重い問いから目をそらしてはならないのかもしれない。
参考:1965 Philippine Sea A-4 incident、沖縄近海A-4水没事故、H-Bomb Lost at Sea in ’65 Off Okinawa, U.S. Admits、ほか
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2024.10.02 20:00心霊沖縄近海、水深4900mに眠る“水素爆弾”。米国が24年間隠蔽した「核兵器水没事故」とはのページです。沖縄、鹿児島、核爆弾、核兵器、水没などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで