林 およそ10年にわたって蔡英文氏を撮影して来ましたが、プロフェッショナルを尊重してくれる彼女の姿勢に心から感謝し、尊敬しています。
ーー面白いと思ったのは、発表された写真の多くが、正面からではなく、斜め後ろから撮られたものや、顔が隠れたものだったことです。数えてみたのですが、被写体が蔡総統だと特定できるイメージは展示された写真全体の五分の一以下でした。どうしてそのような写真を中心に構成を?
林 私は1人の人間でありながら、総統府首席写真官、アーティスト、そして、台湾の一市民で有権者という、多重な自我、立場を持っています。蔡総統を撮るさいに、私はその場所にいながらも、あえて違った距離感で撮りたかった。斜め後ろなど、総統自身の顔が見えない位置に下がって撮っているのはそのためです。それに、蔡総統の場合は正面から撮ってもあまりいい写真が撮れない。私自身が思い描くものや見るものが、彼女の喜怒哀楽にひきずられてしまうから。
ーーなるほど。
林 それに、彼女を撮る空間、それが室内であれ屋外の街角であれ、それは1つの地続きのランドスケープで、それぞれのシーンにおいてその人物が現れる前後に場所の意味、意義がどう変わるか? 彼女がいるからその場所に意義があるのか、あるいは彼女が去っても、そこに意義はあるのか? そのことを常に思索してきたこともあります。
ーーそれにしても、一般にイメージしやすい、国家元首をモチーフにした写真とはほど遠いですね。
林 一国の元首を撮った写真の典型は北朝鮮の公式写真でしょう。それには2パターンがあって、1つは偉大なリーダー、金正恩氏が素敵な場所を訪れている写真ですが、素敵過ぎて全てが嘘のように見えます。もう1つは、写真に写った建築物に必ずリーダーの肖像が飾られていて、どこに出かけても彼がいる。国民は、彼に見られながら彼を見なければならないという写真です。