ーー写真展を見て、「『総統』という概念の解体」とは、「総統という概念は一個人に属するものでなく、入れ替え可能である」という意味合いなのかと思いました。たとえば、メインイメージの台湾総統府の写真に写っているのは蔡総統ではなく、それぞれが思いのままにくつろぐ台湾国民の姿ですし、記者会見のリハーサル風景を撮った写真は、全く同じロケーションで蔡総統が写った写真と、テストのための総統役の別人が写った写真がともに展示されていました。つまり、「総統」とは蔡英文氏個人の属性ではなく、台湾国民の誰もが「総統」という概念の対象たりうると。
林 そういう捉え方もいいと思います。作品を見たみなさんから多元的な解釈が生まれることを期待していましたから。たとえば、あの2枚の写真は、後姿を見ただけでそれが蔡総統だと認識できるかどうか、人によって見え方が変わりますよね。あるいはあの場所が総統府内だという情報を得たうえで見るのと知らずに見るのとでも違ってきます。総統という人や場所の情報を知った時にどう見えるのか、という部分でも揺さぶりをかけているんです。