「広島・長崎への原爆投下が“正しかった”3つの理由」を東大教授が解説! 歴史に学ぶ気ないやつ閲覧禁止!
結論は、「あのような戦争は、倫理的には起こり得ないことだ」、すなわち「あのような戦争は悪だ」という意味ですね。厳密さを犠牲にして簡略に書き直すと、こういう三段論法になります。
「(あのような)戦争になる、ナラバ、原爆投下は悪でない」
「原爆投下が悪でないとは不合理だ」
結論:「不合理を導いた条件〈戦争になる〉はあってはならぬことだ」
これが、原爆投下目線の反戦ロジックです*2。
戦争反対の論理を明確に訴えるには、「広島・長崎の原爆投下は、戦争を終わらせるために正しかった!」と叫ぶのが実践的に有効だということですね。すなわち、広島・長崎の件に関しては、アメリカが正しかったし、いまも正しいのです。
念のため注意しておきますが、この理屈は、戦争中の行為すべてに当てはまるわけではありません。戦争といえども〈何でもあり〉ではないからです。たとえばホロコーストはどうでしょう。ベンサム的理由またはアリストテレス的理由が該当するでしょうか?
ノーですね。ホロコーストは、戦争努力の一環ではありませんでした。そこが、アメリカの大量殺戮とドイツの大量殺戮の根本的な違いです。ホロコーストは、反戦思想の教訓にすらならない、どうしようもない絶対悪――平時だろうが戦時だろうが等しく悪――だったのです。したがって、ラッセル的理由で正当化することもできません。
日本軍の非人道行為の数々はどうでしょう。南京での残虐行為、重慶爆撃、真珠湾攻撃など。ベンサム的理由、アリストテレス的理由で正当化できるでしょうか。残念ながら、できそうにありませんね。あれらはそもそも「戦争の中で」「目的をもって」なされた企画ですらありませんでしたし。
こうしてみると、ベンサム的理由・アリストテレス的理由でしっかり正当化できる原爆投下は、歴史上無数の大殺戮の中でもまれに見る超賢明な戦略でした。その見かけの不条理ゆえにこそ、ラッセル的理由により、強力な反戦スローガンとしても役立つのです。「なんと原爆投下は正しかった! だから戦争は悪い。とてつもなく悪いのだ!」と。
*注2 前提1として「あのような戦争時において、原爆投下は悪である」を置くと、「あのような戦争は悪だ」を結論として導くことはできない。「核兵器抜きの戦争なら許される」「生死を懸けた場で〈勇敢〉の美徳や〈悲壮〉の美質を人類が保つため、戦争は必要である」といった政治的・美学的主張を許容しかねない。
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2024.10.02 20:00心霊「広島・長崎への原爆投下が“正しかった”3つの理由」を東大教授が解説! 歴史に学ぶ気ないやつ閲覧禁止!のページです。広島、倫理、8月6日、原爆投下などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで