日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(1) 物理学者・中谷宇吉郎のUFO記事

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画像は「Getty Images」より

 ケネス・アーノルドの目撃事件は、アメリカだけでなく世界中の話題となった。当然日本でも報道されたと思われるが、実際どのような形で伝わったのか、今となっては明らかではない。当時の日本占領軍向けラジオ放送で報じられた可能性は高いが、残念ながら筆者として原音は確認していない。

●ケネス・アーノルド事件についてはコチラ

「日本空飛ぶ円盤研究会」が朝日新聞資料部に確認したところでは、日本最初のUFO関連新聞報道は、7月7日付『東京新聞』夕刊に掲載された「飛び行く円盤?米国の空に怪現象」らしい。しかしこれはアーノルド事件ではなく1947年7月4日に起こったユナイテッド航空機事件に関するもののようだ。

 ともあれ7月以降、UFO(※)に関する報道は日本でも相次ぎ、多くの人々がUFOの存在を認知しはじめ、強い関心を持って資料を集め始めた者も現れた。

(※) UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)は、説明のつかない航空現象をすべて含むが、現在は「宇宙人の乗り物」という意味で用いられることが多い。そのため、現在アメリカ軍では「宇宙人の乗り物」という意味合いが強くなったUFOに替えて、説明のつかない航空現象に対し、「UAP(Unidentified Aerial Phenomena:未確認航空現象)」という呼称を採用している。最初のUFO目撃談とされる1947年の「ケネス・アーノルド事件」で、実業家のケネス・アーノルドが目撃した飛行物体について「水の上を滑る円盤のように」動いていたと描写したことから、宇宙人の乗り物を「空飛ぶ円盤(flying saucer)」と言うこともある。

 中でもその後の日本のUFO研究に大きな影響を与えた4人の人物が、荒井欣一、斎藤守弘、高梨純一、そして松村雄亮であろう。

 なお、1970年代に入ってUFOという呼称が一般的になるまで、日本では「空飛ぶ円盤」という名称が主に用いられていたが、本連載では新聞・雑誌記事のタイトルや団体名など、「空飛ぶ円盤」という表記の方が望ましいと判断される場合を除き、基本的にUFOという呼称を用いることにする。

 まずは、この4人がそれぞれどのような形で最初にUFOに接し、関心を持ったかということであるが、荒井欣一及び斎藤守弘は、7月以降の新聞報道から興味を持ったようだ。

 高梨純一については、著書『空飛ぶ円盤騒ぎの発端』(高文社)のまえがきで、アーノルド事件の翌日その記事が日本の新聞に載ったことでUFOに関心を持ったとあるが、この新聞記事は筆者として未だ確認できていない。また、アーノルド事件がアメリカ本土で大々的に報じられたのは、前述のとおり6月26日以降のことである。アメリカと日本では半日ほどの時差があり、アメリカの6月26日は日本時間で27日以降になるから、事件の翌日である25日に日本の日刊紙に掲載されることはありえない。確実なことは言えないが、この点は高梨の記憶違いの可能性もないとはいえないだろう。

 ちなみに斉藤守弘は生前、筆者の取材に対し、荒井、高梨、斉藤が日本で最初にUFO研究を始めた3人だと述べていた。

 最後の松村雄亮がいつごろ、どのような経緯でUFOに関心を持ったのかは、明らかでない。ただ、松村の父信雄はスイスの航空雑誌『インタラビア』日本代表、ドイツの『フルクウエルト』誌日本通信員、イタリア・ナルデイ航空機会社日本代理を務めるなど航空業界に深く食い込んだ人物であり、松村雄亮もまた『インタラビア』通信員の地位を引き継いだから、航空業界からの情報でUFOについて知った可能性は高いと思われる。いずれにせよ松村も、かなり早い時期からUFOに関心を持っており、「日本空飛ぶ円盤研究会」設立とほぼ同時期に、独自の研究会を率いていた。

 この4人以外にも、早い段階でUFOに興味を持った人物は大勢いたようだ。その中には、世界的にも知られる物理学者の中谷宇吉郎、ゼロ戦の設計者堀越二郎、作家の北村小松といった著名人も含まれている。

 筆者の調査によれば、日本で最初にUFOの正体について考察した記事は、『日米週報』1947年7月18日号に掲載された「 “空飛ぶ円盤” は眼の幻覚か 航空研究の科学者も議論はさまざま」らしい。そして2番目に確認できるのが、中谷宇吉郎の「空とぶ圓盤」とである。

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中谷宇吉郎(画像は「Wikipedia」より)

「雪は天から送られた手紙である」という言葉でもられる中谷宇吉郎(1900~1962)は低温物理学において、世界で初めて人工雪を製作するなど大きな業績を残し、世界的にも知られる物理学者であるが、随筆家としても多くの文章を残している。

 その中谷が「空とぶ圓盤」を掲載したのは、1946年に創刊された少年向月刊誌『少年』(光文社)1947年11月号である。

『少年』は、その後手塚治虫の『鉄腕アトム』や横山光輝の『鉄人28号』などの漫画を連載して人気となるが、当時は小説や科学的な読物なども掲載していたのだ。11月号掲載とはいいものの、記事の中で中谷は執筆日時を1947年(昭和22年)8月25日と記している。つまり、アーノルド事件からわずか2カ月後に書き上げた記事ということになる。

 この記事の中で中谷は、UFOを捕獲したという記事や、8月に石川県で目撃されたなど当時の新聞報道にも触れており、彼がUFOに関心を持っていたことが伺えるが、結局UFOの大部分は流星やロケットの見間違いであり、新聞報道は流言にすぎないという否定的な見解を示している。なおこの「空とぶ圓盤」は、中谷の随筆集『霧退治:科学物語』にも再録されている。

次回に続く

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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