40年前のバチカン美少女失踪未解決事件とは? 高官の不審な動き、マフィアの証言… 深すぎる闇!
バチカンで15歳の少女が忽然と姿を消す事件が起こった。バチカンやマフィアなどいくつもの組織の思惑が複雑に絡み合った謎に包まれた事件として現在まで少女の行方はわかっていない。彼女はいまも生きているのだろうか。もしそうだとしたら、どこでどのように生活しているのだろうか。
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※ こちらの記事は2022年8月27日の記事を再掲しています。
美少女失踪事件の経緯
1983年6月22日、バチカン市国でエマヌエラ・オルランディいう少女(当時15歳)がフルートのレッスンの帰りに行方不明となった。
エマヌエラの家族はバチカン市国に住んでおり、父親はバチカン職員で、エマヌエラは5人の子供のうちの4番目だった。教皇庁聖音楽研究所に属するトマソ・ルドヴィコ・ダ・ヴィクトリア学校で週に3回フルートのレッスンを受けており、レッスンに通うためにバスを利用していた。
事件当日のエマヌエラはレッスンに遅刻した。さらにレッスンに集中できない様子で、午後6時50分頃に早退させられた。友人らは、バスに乗ったエマヌエラが赤毛の女性乗客と話す姿を目撃した。また、エマヌエラが路上で大きなグリーンのBMWに乗った男に止められている光景を見たとの証言もある。この日遅く、彼女は自宅に電話し、姉と話したのを最後に失踪した。姉によると、エマヌエラは電話で遅刻について説明し、エイボン化粧品の代表者から仕事のオファーを受けたと話したという。姉は、オファーを受けるかどうか決める前に両親と話し合うようアドバイスしていた。
翌日、エマヌエラの両親は音楽学校の校長に電話し、娘の居所を知るクラスメイトがいないか尋ねたが一向に行方は掴めなかった。警察は、エマヌエラが友達と一緒にいるのかもしれないと考え、まずは待ってみることを提案していたが、結局この日にエマヌエラは正式に行方不明者として登録され、各新聞にはオルランディ家の電話番号とともに失踪の情報が掲載された。
錯綜する情報…… 真実はどこに?
翌日から、オルランディ家にはエマヌエラの居場所に関する情報を寄せる電話が次々とかかり始めた。「ピエルルイジ」と名乗る男性は、彼のガールフレンドが、エマヌエラの特徴と一致する少女がフルートを演奏し、「バーバラ」という名前で化粧品を売っている光景を見たと告げた。別の男性「マリオ」も、エマヌエラによく似た少女が「バーバラ」と名乗り、他の女性と一緒に化粧品を売っていたと語った。他にも、家族は何百ものいたずら電話や不可解なメッセージを受けたが、どれもエマヌエラの発見にはつながらなかった。
同年7月3日には、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が「私の心はオルランディ家とともにあります」と述べて祈りを捧げている。その約2日後、何者かがオルランディ家とバチカンの両方に電話をかけ、1981年に教皇を銃撃したトルコ人、メフメト・アリ・アジャの釈放を要求するために“組織”がエマヌエラを誘拐したのだと訴えたが、結局エマヌエラ発見につながることはなく、事件は未解決のまま長い年月が過ぎ去った。
2018年にはバチカンで正体不明の骨片が発見され、エマヌエラではないかと話題になったが、検査の結果、エマヌエラのものではないことが判明している。さらに2019年、エマヌエラの家族は「彼女はバチカンのチュートン墓地に埋葬された」と書かれた匿名の手紙を受け取った。「天使(像)が指している場所(墓)を見てください」という手紙の指示に従い、警察が墓を発掘したところ2体の遺体が見つかるも、いずれもエマヌエラではなかった。
このように、さまざまな情報が寄せられながらも事件は長きにわたり解決されず、今も多くの人々の関心でありつづけている。ところが昨今、捜査の大きな転機となる有力な情報が次々と明らかになってきたのだ。
捜査の最前線では今、数々の証言や不審な動きから、ローマを拠点とするマフィア「マリアナ・バンド」の元リーダー、エンリコ・デ・ペディス(故人)が有力な容疑者として浮上したと考えられている。しかも、バチカン当局は事件の真相を把握していながら何らかの理由で隠蔽しているとの疑惑まで囁かれ始めているのだ。
たとえば、サルヴァトーレ・サルナタロという男性は「マフィアの構成員である息子のマルコがデ・ペディスの命令でエマヌエラを誘拐する犯罪に加担したようだ」と明かした上、「なぜ息子が、この誘拐事件における自分の役割について、私に話すことにしたのかよくわからない」と証言。これは、息子の死から約1年後(2008年)の証言だったというが、どういうわけか今月になってようやくイタリア紙「La Repubblica」で報じられたという。そして実際、エマヌエラの友人の目撃談や、警察の所有する写真から、マルコがエマヌエラを失踪数日前から付け狙っていたことも判明している。
では、マフィアのボスであるデ・ペディスは、なぜエマヌエラ誘拐を画策したのか。警察に協力した元マフィアのマウリツィオ・アバティーノ氏は、デ・ペディスがアンブロシアーノ銀行の破綻で失われた資金を取り戻すため、バチカンを脅迫しようと誘拐を命じたと語っている。ちなみに、かつて同銀行の頭取を務めて「神の銀行家」と呼ばれたイタリア人ロベルト・カルヴィ氏は、1982年にロンドンで首吊りに見せかけた姿で殺害されているが、これもマフィアの犯行であるとみられている。
そして昨年12月、テレビのドキュメンタリー番組に出演したローマの元主任検察官ジャンカルロ・カパルド氏は、2012年に2人のバチカン高官が自分に接近し、エマヌエラの遺体を探す全面的な協力を申し出てきたことを明かした。一方、高官2人はエマヌエラの遺体探しを手伝う見返りとして、1990年に銃殺されたデ・ペディスの遺体をローマ・バシリカ聖堂の地下室から運び出すことを手伝うよう要求。これは、もしもマフィアが教会に埋葬されていることが世に知られた際に大騒ぎとなる事態を極秘裏かつ未然に防ぐ意図があったと考えられている。実は以前から、デ・ペディスの遺体とともにエマヌエラの遺体も埋葬されている可能性が囁かれていたことから、カパルド氏は要求を受け入れ、ついに聖堂の地下室が開かれた。するとデ・ペディスの遺骨のほか、もう一人の遺骨が見つかり「ついにエマヌエラ発見か」と期待が高まったものの、分析の結果は他人であった。
エマヌエラの兄ピエトロ・オルランディ氏は、カパルド氏の暴露を歓迎するとともに、「バチカンは事件に自分たちが巻き込まれないように、責任を取り除こうとしている」と主張。バチカンが事件の全貌を把握していながら何らかの理由で隠蔽しており、本当は妹の居場所も知っているのではないかと疑念を深めているようだ。
このように、エマヌエラの失踪と捜索をめぐっては、バチカンやマフィアなどいくつもの組織の思惑が複雑に絡み合い、事件の謎をより深いものにしている。バチカンの不審な動きから、実はエマヌエラを誘拐したデ・ペディスが身代金をバチカンに要求し、そこで何らかのやり取りがあったのではないかという順当な推測のほか、実はエマヌエラはバチカンが性奴隷とするためにマフィアを使って誘拐したのではないかという陰謀的な指摘も一部にあるようだ。いずれにしても、いくつもの重要な証言があるにもかかわらず、エマヌエラは現在も発見されていない。真相が解明するまでの道のりは長く険しい。
参考:「The Sun」「The Daily Mail」「Insider」、ほか
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