電気椅子で14分焼かれ“黒焦げ“で逝った死刑囚!! 火花・悪臭…それでも死ねず凄惨な最期とは!?
「俺を死刑にしてくれ」
凶悪犯罪者の中には、こんなリクエストする輩がいる。他者の命を虫ケラ同然に扱っておきながら、自身はあっけなくあの世行きを所望する厚顔無恥。心底腹立たしいことだが、法治国家では死刑囚の人権も守られるのだから、なぶり殺しにすることなどできない。
だが、ジョン・ルイス・エヴァンス3世の場合は違った。ちょっとした不都合により、被害者家族の溜飲を下げるようなハプニングが起きたのだ。これぞ天罰? 凶悪な殺人鬼がガチで地獄を味わった死んだことだけは間違いない。
■「死刑台でゆっくりと黒焦げになって死んだ」
ジョン・ルイス・エヴァンス3世は、米アラバマ州で電気椅子による刑罰が復活した後、最初に死刑になった殺人犯だ。1976年12月~翌年1月までのたった2カ月間で、7つの州で30件の武装強盗、9件の誘拐、2件の恐喝計画を企てたことを自白した。加えて、仲間のウェイン・リッターと共謀し、アラバマ州モービルでは質屋に押し入り強盗、店主のエドワード・ナッサー氏を殺害したのだった。
1977年にアラバマ州ボールドウィン郡で行われた裁判で、エヴァンスは「俺は反省していない」とうそぶき、同じ状況下であれば再び殺人を犯すと主張。死刑を宣告しなければ陪審員を皆殺しにするとまで脅した。陪審員は15分間審議した後、有罪の評決を下し、アラバマ州最高裁判所によって死刑が確定。これにて一件落着、となるはずだった。
1983年4月、エヴァンスはアラバマ州立ホルマン刑務所にて「イエロー・ママ」と呼ばれる悪名高き電気椅子で死刑執行された。しかし、すぐ死ぬはずの電流が、予想よりもはるかに長い時間をかけて彼を殺したのである。
午後8時30分、1900ボルトの最初の衝撃がエヴァンスの身体を貫いた。その間、30秒。しかし突如、エヴァンスの左足に繋がれた電極から火花と炎が飛び散った。電極を固定していたストラップから電極が外れたのだ。エヴァンスの顔を覆っていたフードの下からは、灰色の煙と火花が大量に噴き出してきて、焼けただれた肉や衣服の強烈な悪臭が部屋に充満したという。
2人の医師が診察し、「死んでいない」と言った。
電極を固定し直し、午後8時30分。2回目の電気ショックが加えられた。再び30秒。肉が焼け焦げる臭いは耐え難いものだったそうだ。だが、さらに足と頭から煙が出てきた。
医師は再びエヴァンスを診察。「心臓は動いている」、「生きている」と告げた。
その場に立ち会ったラッセル・F・カナン判事は、著書『Burning at the Wire』の中で処刑の様子を克明に記録している。
「私は、ジョージ・ウォレス知事とホットラインでやり取りしていた刑務所長に『残虐で異常な刑罰を受けているという理由で、エヴァンスに恩赦を与えてほしい』と頼んだ。しかし、その要請は却下された。午後8時40分。彼の身体に3回目の通電が行われた。30秒間。悪臭が鼻をつく。8時44分、医師は彼の死亡を宣告した。ジョン・エバンスの死刑執行は14分で終了。彼は死刑台で、ゆっくりと黒焦げになって死んだ」
実はエヴァンス、収監中にかなりやせ細ってしまったのだ。そのため、電気椅子に縛り付けられたときには足が細すぎて、足の電極が下腿部の革紐に接触してしまい、それが煙や火花の原因になったとされる。
享年33歳。イエロー・ママに抱かれて自業自得となった悪党とはいえ、瞬時にあっちの世界へトンズラできると高をくくっていたところ、思いがけず14分も引き止められ、とてつもない恐怖を味わったことだろう。虫も殺さなそうなイケメン風情は、最後までクールな殺人鬼でいたかったのかもしれないが、土壇場でとんだ姿をさらして地獄へと旅立ったようだ。
参考:「Daily Star」、「Around Town DC」、ほか
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