“女性への怒り”が突然爆発! 真正のマザコン・パラノイアが引き起こした「ルビーズ銃乱射事件」の闇
アメリカで10月16日は「ボスの日」と呼ばれ、普段世話になっている上司に部下が贈り物をしたり、食事に招待するという習慣がある。1991年10月16日の昼、テキサス州キーリンのレストラン「ルビーズ・カフェテリア」は、まさに「ボスの日」を祝う150人もの客で賑わっていた。しかし12時40分、その「ルビーズ・カフェテリア」のガラス窓に、ライトブルー色のフォードのピックアップトラックがいきなり突っ込んでくる。お祭りムードでランチを楽しんでいた客たちは、「アクセルとブレーキの踏み間違い事故か」と驚きながらも、車の運転手を助けるために駆け寄った者もいた。しかし、これは事故ではなかったのだ――。
■この上なく冷酷な乱射男
事故車の運転手は、「報復の時がきたぞ、ベル郡よ! ぞんぶんに楽しんでおくれ!」と叫ぶとともに、車を降りながら「これはベル郡がオレにしたことの報いだ!」「キーリンとベルトンに住む女はみんな毒蛇だ!」とうめくように言い放ち、銃を乱射し始めたのだ。
阿鼻叫喚となるレストランで淡々と客に向かって銃をぶっ放した男は、10分あまりもの短い時間に23人を殺害、20人を負傷させた。亡くなった23人のうち、14人は女性だった。目撃者によると、男は歯を食いしばり、憎悪と喜びが入り交じったような異様な表情で銃を乱射していたとのこと。絶命していない瀕死の被害者には、わざわざとどめを刺すなど、この上なく冷酷だったという。
やがて男は、駆けつけた警察と銃撃戦を繰り広げた。そして、4発被弾したところでレストランのトイレへと逃げ込み、残っていた1発で自殺した。この銃乱射事件は「ルビーズ銃乱射事件」と呼ばれ、全米を震撼させた。犯人は、35歳の「見た目はごく普通の男」、ジョージ・ヘナードという人物だった。
■無差別乱射男の幼少期とは?
画像は「Murderpedia」より引用
ジョージは、1956年10月15日にペンシルベニア州セーヤーで生まれ、主に同州ベルトンで育った。父親は軍の病院で働く腕の良い整形外科医で、国内外の軍病院を転々としたため、一家は移動することも多く、落ち着かない環境だった。子ども時代は大人しく手がかからなかったため、両親はジョージの気持ちを考えたり、意見を尊重することがなかった。やがて思春期になると、ジョージは父と対立したり、子どもを自分の言いなりにして押さえつけようとする母親と口論することが多くなった。しかし実は、ジョージは物心つく頃から母親のことを強く嫌っており、思春期になってその気持ちを爆発させただけだった。高校時代の彼は暗く、少ない友達に対しても母親の恨みつらみばかり語ろうとするため、嫌厭されていたという。もちろん、そんな彼にガールフレンドができるはずもなく、とても孤独だったと伝えられている。
1974年に高校を卒業したジョージは、軍に入隊する。そして3年後、海軍に正式配属された頃から、問題を起こすようになった。マリファナの所持で逮捕されたり、人種差別的な言動に及んだとして船員仲間と口論となり、停職処分を受けたり――。乗船中にマリファナ所持が判明し、2度目の停職処分を受けた直後には、ヒューストンにある薬物乱用更正プログラムに入り、除隊することになった。
その後、一等水夫の免許を持っていたジョージは船員としての仕事を探したものの、海軍で問題を起こした過去があるため商船には採用されず。生活のため、さまざまな職については短期間で辞めることを繰り返し、州から州へと移り住むようになった。1983年、両親の離婚後しばらくは、金のある母親とともにネバダ州に住んでいたこともあったという。ちなみに父親は、離婚後にヒューストンへと移り住んだが、そこで減量クリニックが起こした詐欺まがいの事件に巻き込まれ、テキサス州医療医委員会から懲戒処分を受けている。
■女性に対する怒りを募らせるジョージ
仕事は長続きしない、金銭面では大嫌いな母親に頼らざるを得ない――そんな生活を送っていたジョージが、「自分の怒りをレストランで爆発させたい」という願望を抱くようになったのは、きっかけがあった。
1984年7月18日、メキシコとの国境に面したカリフォルニア州サン・イシドロのマクドナルドで、迷彩服を着て武装した男が無差別に銃を乱射し、21人が死亡、9人が負傷、犯人も射殺されるという事件が発生した。犯人のジェイムス・ヒューバティは、不幸な生い立ちで幼少期から精神を病んでおり、世間に絶望するとともに、死ぬ前に自分がどれだけ怒っているかを表現するために事件を起こしたという。あまりにも身勝手なこの事件は、ジョージが「ルビーズ銃乱射事件」を起こすまで、アメリカ史上最悪の銃乱射事件だった。
この「サン・イシドロのマクドナルド銃乱射事件」のドキュメンタリーをテレビで見たジョージは、被害者に同情するのではなく、犯人のジェイムスに共感したのだ。そして「自分も同じように嫌な人生を歩んできた。死ぬ前に、世間にこの怒りをぶちまけたい」と思うように変化していった。
1989年、ジョージは偏執症(パラノイア)妄想を抱くようになった。さらに、女性に対して軽蔑的態度を取るようになり、嫌悪の対象として敵視し始めた。幼少期から抱いていた母親への恨みは増す一方で、「あのオンナは蛇だ」と暴言を吐き続けた。妄想は酷くなる一方で、常にイライラを抱えるようにもなっていた。まさに、触ると爆発するような精神状態に陥っていたのだ。
■一方で女性にラブレターを送りつけ……!
この頃、ジョージはベルトンに戻り、空き家になっている母親名義の高級住宅に住み始めた。そして地元のセメント会社に就職し、生計を立てるようになった。しばらくすると潔癖性が悪化し、邸宅内、プール、庭など、すべてを完全にキレイにしていなければ気が済まないようになった。近隣住民は、ゴミ収集車に怒鳴りつける彼の姿を度々目撃し、交流を避けるようになった。ますます孤独になったジョージは、殻に閉じこもり、世間の女性に対する怒りをさらに蓄積させていった。
1991年2月、一等水夫のIDカードを再取得しようとしたものの却下されると妄想も悪化し、ラスベガスにあるFBIの事務所へと直接足を運んでは「世の中の白人女性が、自分に対して陰謀を企てている」と訴えるまでになっていたという。
そんな女嫌いのジョージだが、近所に住む19歳と21歳の姉妹に好意を寄せており、1991年6月には5ページにわたる支離滅裂なラブレターを匿名で送りつけている。その中には、「テキサスのベルトンとは皮肉な街だ。最高の女性もいれば、最低な女性もいる。きみたち姉妹はその片方だ。そして、おびただしい数の悪女がもう片方にいる。私は何があってもこのちっぽけなテキサスの町のはびこる毒蛇女たちに勝つ」と書かれていた。
ラブレターを読んだ姉妹とその母親は、気味悪がって地元警察に相談した。しかし警察は、「現時点ではなにもできない」と言うばかり。そこで彼女たちは、近くの病院の理事に「こういう手紙を送りつけた男がいるのだが、どうにかならないか」と尋ねた。手紙を目にした理事は、「この男は何か恐ろしい行為に及ぶかもしれない非常に危険な人物だ」と危機感を抱いた。
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