忘れられた日本史上最大のUFO事件「銚子事件」の謎! 未知の金属片がバラ撒かれ… 戦慄の分析結果と衝撃展開!

Ronald Álvarez DomínguezによるPixabayからの画像

「日本空飛ぶ円盤研究会」(略称:JFSA)は、1955年に故・荒井欣一を会長として発足した日本最初の民間UFO研究団体である。同研究会には、高梨純一や斎藤守弘など、後に活躍するUFO研究家だけでなく、三島由起夫や石原慎太郎、星新一といった作家、作曲家の黛敏郎、ロケット学者の糸川英夫など著名人も多く参加していた。会員は日本全土に散らばり、その数は最盛期には700人以上に達した。

 機関紙の『宇宙機』は、1956年から1960年にかけて32号発行されている。ワープロなど夢物語に過ぎなかった時代に手書きのガリ版刷りで、時には60ページにも及ぶ大部なものを、1カ月、あるいは2カ月おきに刊行していた。そのガリ切り作業だけでも大変な労力である。

 その『宇宙機』であるが、非売品であり、しかも会員その他限られた人物のみに配布された同人誌ということもあって、1960年にJFSAが活動を停止すると、各地の会員たちの書棚に埋もれたまま世間に紹介されることが少なくなっていった。会員が死去するとともに、事情を知らない遺族の手で人知れず処分されたものも多くあるのだろう。晩年の荒井欣一の手許にも、全巻は残っていなかったようである。

■会員たちの熱い想い

 筆者は数年前、この『宇宙機』のバックナンバーを何冊か手に入れ、内容を一読して驚いた。

 会員はさまざまなバックグランドを持っており、UFOについても宇宙船と考える者ばかりでなく、宗教的な考えや、否定的な見解を持つ者もいた。『宇宙機』は特定の主義主張にとらわれず、こうしたさまざまな会員の幅広い意見を掲載していた。

 また、インターネットなど誰も夢想さえしておらず、海外情報を入手するにはいろいろと制約のあった時代背景にも拘らず、会員たちは当時欧米で話題になった情報をいち早く入手しようと手を尽くしており、今では古典と見なされているフラットウッズ事件やメンジャーのコンタクトなどもいち早く紹介されていた。中にはマゴニアへの言及など、この時代に、すでにこのような意見が出ていたのかと驚かされる内容もあった。

 まさに、荒井会長はじめ会員一同のUFOに対する熱い思い入れがあふれかえっていたのだ。

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日本空飛ぶ円盤研究会 会員名簿(画像提供:羽仁礼)

 そこで筆者は、日本のUFO史における記念碑ともいうべきこの機関紙の内容を後世に伝えるべく復刊することを思い立ち、同じ頃手に入れた会員名簿を頼りに、何人かの旧会員の現住所を探し当て、訪問してみた。しかし、訪れた会員たちのほとんどは既に鬼籍に入っており、遺族の方に確認しても『宇宙機』はないという返答ばかりであった。

 それでも何人かの助力を得て、写しも含めてほぼ全巻を確認し、現在はその復刻活動を細々と続けているところである。何年かかるかわからないが、ライフワークと覚悟してやり遂げたいと思っている。

 一方、『宇宙機』のバックナンバーを読んでいて気付いたことがある。

 当時の会員たちの間ではほぼ共通の知識となっていた事件でありながら、今ではほとんど忘れ去られているものがいくつか見つかったのだ。

 そうした事件のなかから、今回は「銚子事件」を紹介しよう。

■忘れられた「銚子事件」

 この事件は、日本空飛ぶ円盤研究会が本格的な活動を開始した直後に、初めて本格的な調査を行った記念すべきものでもあり、後年に荒井欣一も「個人的に印象に残る事件だ」と述べている。

 この事件については『宇宙機』第4号に、「千葉県銚子市一帯に空飛ぶ円盤から?金属片」として報告されているので、その概要を紹介しよう。

 事件が起きたのは、昭和31(1956)年9月7日夜のことであった。

 折しもこの日は、何年ぶりかの火星大接近ということで、日本中の愛好者が天体望遠鏡を準備して夜空をにらんでいた。

 銚子市若宮町にある銚子市立第四中学校の屋上でも、教師1人と30人の生徒が観測の準備をしていた。ところが7時半頃になって、なにか黒い物体が鹿島灘から銚子市上空を北から南に猛スピードで横切っていったのである。この物体は、同市内唐子町でも目撃されている。

 同時刻頃、市内春日町では、お椀を伏せたような半球形で、大接近中の火星より明るく見えるオレンジ色の物体が東から西へまっすぐに飛んでいくのが目撃されている。

 これだけなら、単に数あるUFO目撃例のひとつに過ぎないが、世界的にも例を見ない現象が起きたのはその直後だった。唐子町で黒い物体を目撃した目撃者の自宅窓から、奇妙な金属製の薄い物体が舞い込んできたのだ。

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日本空飛ぶ円盤研究会 機関紙『宇宙機』(画像提供:羽仁礼)

 翌朝になって、銚子第四小学校の校庭など広い範囲に同じような物体が散らばっているのが見つかった。金属片は、一見錫箔に似たもので、長さ4~5センチ、幅1ミリ、厚さ10ミクロン位という、極めて小さく薄いもので、青白色あるいは金色の塗料が塗ってあるのか、きらきら光っていたという。大体30センチ四方に1枚くらいの割合で散らばっていたというから、1平方メートルに10枚くらいということになり、少なくとも、驚くほど大量というほどではないようだ。

 この金属片に興味を持って収集したのが、現地の歯科医師で「空飛ぶ円盤研究会」会員でもあった滝田正俊である。手許の会員名簿によれば、滝田の会員番号は104となっており、滝田はまた、日本天文学会会員でもある天文愛好家であった。

 ちなみにこの会員番号は、結成後数年経ってから付されたものらしく、番号は入会順になっているわけではない。最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)では、三島由起夫の会員番号が12であることから、かなり初期に入会したとしているが、『宇宙機』第一号の会員名簿には既に12人以上の名が記されている。

 

■正体不明の奇妙な金属片

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落ちてきた金属片。 画像は「地球の見える丘展望館ブログ」より引用

 ともあれ滝田はこの金属片の分析を試み、酸や水酸化ナトリウムに浸してみた。物体を30%の塩酸に投ずると30秒から1分で発泡し、1分半で塗料が遊離したものの、完全には溶解しなかった。30%の水酸化ナトリウム液に浸けると直ちに発泡し、塗料はすぐに溶解し、試験管で加熱すると一分程度で溶解し、残滓ができた。しかし、この程度の分析で詳細な成分が判明するはずもなく、滝田は採集した金属片の一部を荒井に送ったのだ。

 受取った荒井欣一は、会員の一人で、後にSF同人誌『宇宙塵』を発行する柴野拓美を伴って、さっそく東京都庁内都立工業奨励館(現在の都立産業技術研究センター)を訪れ、金属片の分光分析を依頼した。

 9月19日になって、工業奨励館の最初の分析結果が出た。それによると、物体にはアルミ、鉄、銅、珪素の他、1~10%の鉛が混入しているとのことであった。

 ここで荒井は疑問に思った。アルミは非常に軽い金属であるのに対し、鉛は重金属である。通常アルミ箔には鉛を混ぜたりせず、アルミ箔の製造に際しては、鉛は不純物とされている。

 そこで、会員の一人に現地調査を依頼するとともに、アルミ箔製造の国内大手である日本軽金属株式会社に問い合わせた。すると、「本社ではアルミ箔に鉛は入れない」との返答を得た。

 ただし、工業製品として製造する際にはアルミに鉛は混ぜないとしても、技術的には可能かも知れないと考えた荒井は、今度は大岡山にある東京工業大学金属学教室の中村正久氏を訪ねた。すると中村は、アルミには0.2%以上の鉛を混ぜることはできないと述べた。

 その後、工業奨励館からは、さらに詳細な報告が届いた。

イメージ画像 Created with DALL·E

 それによると、鉛が検出されたのはアルミ箔に薄く付着していたビニール状の皮膜内で、粒状に多数点在していた。ただし、ビニールなどに鉛が混入すると完全に溶けて透明になるはずだがそうなっていないとのことだった。またアルミ箔の片側には有機染料が塗布してあり、微量であるが高価なバナジウムやニッケルが検出されたという。奨励館で分析を担当した松下技師は、このようなものがアルミ箔から検出されることはあまり例がないとも述べた。

 工業大学の方からも、鉛の含有率は重量比で12.9%だったという追加報告が届いた。

 他方荒井は、日本におけるロケット研究の草分けである糸川英夫にも問い合わせた。糸川の見解は、この金属片はロケットの発射実験等に使用する金片と非常によく似ているということだった。

 ロケットの打ち上げ実験においては、打ち上げと同時に細かな金属片をまき散らし、それをレーダーで追うことにより軌道を正確に把握するのである。糸川は、このときばらまくものに似ていると考えたのだ。

 さらに糸川は、ビニール被覆のアルミ箔も国内では生産されないかも知れないが、アメリカでは使っている、と述べた。

 そこで荒井たちが訪れたのが、駐日アメリカ大使館である。

■米空軍武官の見解は……!?

 荒井会長と柴野は大使館で、空軍武官ラモール少佐と会見した。

 アメリカ大使館のように大きな大使館では、本国外務省の職員だけでなく、軍関係者を外交官の身分で駐在させることがある。これが駐在武官である。

 荒井たちはこのラモール武官に銚子の事件を説明し、落下物の件につき意見を聞いた。するとラモール少佐はこう述べた。

イメージ画像 Created with DALL·E

「米軍は9月9日に銚子近辺で演習を実施したが、7日には行っていない。また、電波妨害の実験のため金属片をまくことはあるが、その際は大小各種の金属片を同時に落下させるはずであり、特定の小片だけ使用したとは考えにくい。ともあれ、落下物をアメリカ極東空軍に回して分析調査することとする。1週間後には返答できるだろう」

 またこのとき荒井たちは、アメリカの円盤研究会を紹介してくれるよう少佐に要請し、了解を得た。

 しかし、約束の1週間を過ぎ、1カ月以上が経っても、ラモール少佐からは一向に返答がなかった。しびれを切らした荒井が大使館に電話したところ、少佐は一言だけこう言った。

「落下物はアメリカ軍のものだった」

 荒井は食い下がったが、それ以上は一切ノーコメントだった。もちろん、提供した金属片は戻ってこなかった。

 その後1年近くたって、奨励館の松下技師から電話連絡があった。海外でも似たような金属片の破片がUFOからの落下物として記事が掲載されたというのだ。

 結局、問題の金属片が何だったのか、結論は出なかった。ラモール少佐の言葉を信用できるなら、アメリカ軍が何らかの目的で製造したものということになるが、何の目的で、どういう経緯から銚子でばらまかれたのかなど詳細は一切明らかになっていない。しかも、ラモール少佐本人が、アメリカ軍は9月7日には活動していないと述べていることや、海外でも似たような事件が起きていたことを考えると、アメリカ軍が情報の隠匿を図った可能性も否定できない。

 荒井の生前、筆者がUFOライブラリーを訪ねて銚子事件について話を聞いたときにも、アメリカ政府はUFOに関して何かを隠しているのではないかという口ぶりだったのを覚えている。だが、真相は今でも不明としか言いようがない。

参考:「日本空飛ぶ円盤研究会『宇宙機』第4号」、『UFOこそわがロマン』(並木伸一郎・岡静夫)

 

※当記事は2020年の記事を再編集して掲載しています。

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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