ソックリすぎ!?『天空の城ラピュタ』の元ネタになった2つの話とは…パズーは●●だった!?

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 1986年公開の宮崎駿監督の傑作の一つ「天空の城ラピュタ」が8月30日夜9時から日本テレビ系列で放送される。主人公の少年パズーがある日空から落ちてきた少女シータと出会い、幻の「ラピュタ」をめぐる激しい争いに巻き込まれるというボーイミーツガールな王道冒険活劇だ。敵となるムスカ大佐やドーラ率いる空中海賊といった個性豊かなキャラクターたちも活躍し、「バルス」などの名台詞満載の、今なお大人気の作品である。

 さて、天空の城ラピュタには原作はなく、宮崎駿監督のオリジナル作品となっている。しかし、オリジナルとは言っても、その裏には影響を受けた物語や実在人物がもちろん存在する。

 今回はそのイマジネーションの元となった物語についての記事を再掲しよう。宇田川敬介氏が執筆したこの記事を読めば、天空の城ラピュタをまた新しい視点から見ることができるかもしれない。


 宮崎駿監督の作品「天空の城ラピュタ」は、もちろん、宮崎駿監督のオリジナル作品であり、なおかつ、そのモデルとなるような人物は存在しない。しかし、そのイマジネーションのもととなる物語は存在する。今回はその内容を少々ひも解いてみよう。

■ラピュタを発見したのはガリバー

『ガリバー旅行記』という物語をご存じだろうか。そう、旅行していたらいつの間にか小人の国に行ってしまうあのガリバーである。ガリバー旅行記といえば、小人の国の物語が最も有名であるが、実はその後の話も存在する。小人の国の次は巨人の国、そして馬の国など、さまざまな場所に行くのである。

 その、ガリバーの3回目の旅行にラピュタのヒントが隠されている。ガリバーは海賊に襲われ、またも船が難破して漂流してしまう。ガリバーという人はよほど旅行運のない人である。そして、その時に向かった国が天空の「島」ラピュタ(Laputa & Balnibarbi)なのだ。

 さて、ガリバー旅行記の原作者であるジョナサン・スウィフトは、政治や社会風刺がうまい人だったようで、このラピュタは「科学」「教育」に偏重した社会を風刺した物語である。そのような目でこのラピュタを考えるとなかなか面白い。

 ガリバー旅行記の中で、ラピュタ(飛ぶ島)は、数学と天文学と音楽を司る学者たちによる世界で、地上の島を支配している。この飛ぶ島ラピュタのインテリジェンスは、地上の島(バルニバーニ)に影響を与え、進歩の理念に基づいた現実の改革が求められ、現実を常に実験の場、過渡期と考える風潮が支配していた。なので、常に「現在」を「未来」の手段としてしか考えないため、荒廃しているのだ。

 さらに、この知識人たちは、言葉を簡略化し名詞だけで会話するようになってくる。しかし、この言葉の単純化は、そのまま人間の行動の単純化を招くことになり、ガリバーが最後に訪れる「馬の国」における壮大な「全体主義社会主義」への批判とつながるのである。そして、結論として人間は自然に回帰し、地上に根を下ろし、そして人間らしい行動を行うことを最もよしとしているのである。

 この結論、「天空の城ラピュタ」とも似ているのではないか。ラピュタが放置され、壮大な科学力のある国が打ち捨てられている。昔は「雷」で地上を支配していたのに、その手段を捨ててしまい、そして、農村で暮らしていたラピュタの王族は、このガリバーの一択に愚のアンチテーゼとして存在した姿であり、ムスカがその全体主義の方向に進むことを防いだということになるのである。

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■シータを助けるパズーはインドの皇子?

「天空の城ラピュタ」のもう一つのイマジネーションのもとが、インド最古の叙事詩「ラーマーヤナ」である。登場人物をラピュタに置き換えると下記のような話になる。ちなみにシータはラーマーヤナの中でもシータだ。

 ラーマーヤナの最終和(第43話)は、まさに天空の城ラピュタと同じ話であるといってよい。興味のある方は読まれると面白いかもしれない。神の化身として王家に送り込まれた王国の第4皇子パズーは、悪の化身で悪魔に殺さないと約束され、悪行の限りを尽くしていた。パズーは土から生まれたシータ姫と結婚していたが、ムスカにシータを奪われてしまい、サルの国のドーラに協力を仰いで、ムスカの城の中でムスカと対決する。ムスカの頭を何度も吹き飛ばしたり切ったりするが、悪魔と約束しているムスカは死なない。その時にシータは滅びの言葉を唱えながら大砲を撃ち、ムスカを殺してインドの国王になる。

 しかし、ラーマーヤナはそれでは終わらない。長い間ムスカに拉致されていたシータに対し、パズーはムスカと関係があったのではないかと疑念を抱く。何度か試して疑いが晴れるが、しかし、シータが双子を生んだ時にまたその疑念が出てきたため、シータは双子を連れて王宮を出て行く。パズーは子供を捜しやっと発見するが、その子供が人間離れした力を持っていることから、やはり悪魔の子ではないかと疑念を抱いてしまう。シータは「私が潔白ならば、大地よ、私を呑み込みなさい」といい、パズーが見た瞬間、大地が大きな口を変えてシータを飲み込んでしまった。シータを失ったパズーは驚愕のあまり言葉を失い、悲嘆に暮れ、そして悲しみの中で死んでゆくという話。

 まさに天空の城ラピュタと同じストーリー展開であるところがなかなか興味深い。この天空の城ラピュタに関してはラーマーヤナに、ガリバー旅行記が合わさってできたものと考えてまず間違いがないのではないか。

■ラピュタの都市伝説“2つのエンディング”とは?

 さて、インターネット上ではラピュタの都市伝説でエンディングが2つあるという話がある。最後に、パズーが農村で静かに暮らすシータに会いにゆくというものである。実際にそのエンディングがあってもおかしくはないのであるが、スタジオジブリはそれを否定しているということである。

 私もなんとなく言われるとみたことがあるような気がするのであるが、おぼろげな記憶であり、なおかつビデオなども残っていないために何ともいうことはできない。しかし、上記のようにラーマーヤナなどを知っている人は、そのまま飛んでゆく天空の城の残骸では飽き足りない部分があったのかもしれない。そのあと「パズーとシータは、ラーマーヤナでは不幸な結末になっているが、宮崎駿監督はどう解釈したのか」というような感覚を持ってしまっているのである。

 そのような感覚で見れば、このような都市伝説が出てきても何の不思議もない。

 結局、何かからイマジネーションが出れば、その元の物語から似たようなイマジネーションを得る人は少なくない。そのために様々な都市伝説がその人の中で生まれてくるということではないのか。

 宮崎駿監督の作品をこのようにほかの物語から見てみると、少々面白くまた見られるのかもしれない。

 

※当記事は2019年の記事を再編集して掲載しています。

TOCANA編集部

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