世紀の悲劇は防げたのか? 専門家が断言「ダイアナ妃は死ぬはずではなかった」彼女の運命を分けた、たった一つの選択とは

1997年夏、世界を悲しみに包んだダイアナ妃の事故死だが、専門家によればその致命傷はきわめて軽微なものであり、もしもシートベルトをしていればほぼ確実に助かっていたという――。
■英公妃はシートベルト装着で助かっていた
ダイアナ妃の致命傷はきわめて軽微で特異なものであったため、著名な法医学者はそのような症例に遭遇したのは唯一そのケースだけであると主張している。
1997年8月31日未明、フランスのパリにあるアルマ橋トンネルで起きた悲劇的な衝突事故を調査した法医学者、リチャード・シェパード医師は、ダイアナ妃はシートベルトを着用していれば死なずに済んだはずだと説明している。
ダイアナ妃の肺の片方の静脈に生じた小さいながらも致命的な裂傷はきわめて稀なケースであることを、シェパード医師は著書『Unnatural Causes(不自然な原因)』の中で言及している。
「ダイアナ妃のこのような裂傷はとても稀で、私のこれまでのキャリアの中で、他にこのような例を見たことはありません。ダイアナ妃の裂傷は非常に小さかったものの、しかし場所が悪かったのです」(同著より)
シェパード医師はこの1997年8月31日早朝の死亡事故における最も重要な“if”はシートベルトに関するものだと米国版「Express」紙に説明する。もし彼女がシートベルトをしていたなら、事故の2日後には骨折した腕をバンドで吊った姿で公の場に現れていたはずであるという。
「彼女の死因は、議論の余地がないと私は信じています。しかし、肺静脈のあの小さな致命的な裂傷の周りには、他にも多くの事実が絡み合っており、その中にはあまりにも不透明なものもあり、さまざまな説が飛び交っています」(シェパード医師)
当時36歳だったダイアナ妃は、複数の骨折と軽度の胸部損傷も負っていた。救急車で運ばれた時点では意識があったが、搬送中に徐々に意識を失い、緊急手術を受けたが病院で死亡が確認された。
2008年のイギリスの検死審問では、ダイアナ妃の死にはパパラッチのカメラマンと運転していたポール氏の責任であるとの判決が下された。パパラッチたちはリッツホテルを出てアルファイド氏のアパートへ向かう途中のダイアナ妃が乗った車を追跡していたのだ。

フランス警察による2年間の捜査は1999年に終了し、その結果、事故は運転をしていたポール氏がアルコールと処方薬の影響下でスピードを出し過ぎ、車の制御を失ったことが原因であると結論づけられた。
フランス警察によると、事故当時、メルセデス・ベンツS280セダンは時速73マイル(約117㎞/h)から96マイル(約155㎞/h)で走行していた。
シェパード医師は2004年に当時のロンドン警視総監ジョン・スティーブンス卿が指揮した警察捜査の一環として事件の証拠を精査し、彼らが事故の犠牲者であったことを疑う根拠があるかどうかを検証したが、これは悲劇的な事故だったとする調査の結論に同意している。
いくつものスキャンダルに見舞われている英王室だが、もしダイアナ妃が助かっていたなら今の王室はどのような様相になっていたのだろうか。惜しむらくはその日のダイアナ妃にはシートベルトをしていて欲しかったものである。
参考:「Daily Star」ほか
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2024.10.02 20:00心霊世紀の悲劇は防げたのか? 専門家が断言「ダイアナ妃は死ぬはずではなかった」彼女の運命を分けた、たった一つの選択とはのページです。ダイアナ妃、自動車、事故死、英王室などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで