少年がポケットに入れて持ち帰った“死の容器”で家族4人が死亡… 知らぬ間に家族を蝕んだ放射線被曝の地獄絵図

もしも高線量の放射性物質が知らぬ間に部屋にあったら――。少年がどこからか拾ってきた放射性物質の容器が家族を蝕み、4人の命を奪ったのだ――。
■拾ってきた放射性物質で家族4人が死亡
物語は1962年3月に家族がメキシコシティの新居に引っ越した時に始まる。引っ越しから間もないある日、遊びから帰ってきた家族の10歳の少年のズボンのポケットには小さな鉛の容器が入っていた。
洗濯の際に気付いた母親はズボンのポケットからその容器を取り出し、ひとまずキッチンのキャビネットの引き出しに仕舞ったのだった。実はその容器は高線量の放射性物質であるコバルト60が封入されていたのだ。

その月の終わりには新居での生活に祖母が加わった。家族は夫妻と2人の子供、そして祖母の5人となった。
報告書によると、祖母は炊事の際にキッチンのキャビネットの引き出しにあった容器に気付いたという。
「その時、彼女は容器が置かれていたキャビネットの中に入っていたガラスのコップが黒ずんでいることに初めて気づいたのです」(報告書より)
ガラスの黒ずみは放射線被曝によるものであった。しかしどんなに奇妙なことだったとしても家族の誰一人、何が起こっているのかを理解していなかった。
10歳の少年はコバルト60との直接接触により、家族の中で最も高い線量を浴びたが、キャビネットの引き出しに仕舞われた後は、日中は2歳の妹と外で遊んでいたために被曝量は少なくなった。それでも少年は発熱や吐き気、倦怠感を訴えはじめ、次第に体調を崩していった。
3人目の子供を妊娠中だった母親は、食事の準備でキッチンで多くの時間を費やしていたため、この間、大量の放射線を浴びた。放射線の影響で体調が悪くなり始めたため、療養中に炊事を引き継いだ祖母もキッチンで相当量の被爆をすることになった。
4月29日、10歳の息子が亡くなった。その後、2歳の妹はキッチンで家族と過ごす時間が増えて被爆量が増えることになった。
母親は7月19日に亡くなり、その時点で調査員が容器を発見してされて回収された。
しかしこれまでの被爆の影響はすでに致命的で、残念ながら8月18日に2歳の娘が、10月15日に祖母が亡くなってしまう。

この事件で唯一の生存者である父親は日中は仕事に出ていたので最も被害が少なかったのだが、それでも約9.9~12グレイ(Gy)の放射線を吸収していたと推定されている。これは息子の47~52グレイ(Gy)よりはるかに低い。
コバルト60を封入した容器は、かつてがん治療に使われていた病院の放射線治療室から流失したものであることが判明したが、どのようにして屋外に放置され少年が拾ってきたのか、詳しい事情は依然として不明である。
4人が続けざまに命を落としたこの事故を受けて、当局は徹底的に付近の除染を行い、ゴミ捨て場などをはじめ近隣各地の放射線量を厳密に測定したという。
多くにとって普段の生活圏に放射性物質が潜んでいるとは夢にも思わないことだが、体調不良などが続くようであれば、ガイガーカウンターなどで身の回りの放射線量を測定してみてもよいのかもしれない。
参考:「IFLScience」ほか
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2024.10.02 20:00心霊少年がポケットに入れて持ち帰った“死の容器”で家族4人が死亡… 知らぬ間に家族を蝕んだ放射線被曝の地獄絵図のページです。被曝、放射性物質、コバルト60などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで