11歳の少年が目撃した「月の住人」と3本脚の壺型UFO —— 取材と知らず語られた70年前の衝撃証言

UFO着陸事件の証言は、時間が経つほど膨らみがちだ。だが、スペイン中部クエンカ県の村ビジャレス・デル・サスで1953年7月1日に起きた着陸事件には、ひと味違う記録が残されていた。
当時11歳だった目撃者マキシモ・ムニョス氏が、大人になってから、取材とは知らずに体験を語った際のメモである。スペインのUFO研究家V・J・バジェステル・オルモス氏に宛てて書かれたこの手書きメモの英訳が、2026年9月、UFO研究誌Inexplicataに掲載された。
素性を隠した聞き取り、トラック談義のあとに始まった告白
聞き取りを行ったのはアントニオ・ブエノ博士で、時期は1979年ごろとみられている。当時のムニョス氏は村でトラック運転手として働いていた。
博士は同行した知人のホセ・ルイス・ソラノ氏と一計を案じた。ムニョス氏と同じ型のトラックを持つ親戚筋のソラノ氏が、車の不調の相談を名目に近づき、近隣の村のバルで1時間ほどトラック談義に花を咲かせたのだ。
頃合いを見て、ソラノ氏が兄の持っているUFO本でムニョス氏の名前を見かけたと切り出した。するとムニョス氏は、自分の名はラジオやテレビにも出たと応じ、あの日の出来事を語り始めたのである。
3本脚の「巨大な壺」とフランス語のような言葉
ムニョス氏によれば、11歳の彼の目の前に、月に住む人々の乗り物が降りてきたという。形はスペインの大きな素焼きの壺「ティナハ」に似ており、大きさは高さ約3mに相当する。3本の脚があり、上部にはハッチがついていた。
そこから現れたのは3人の男たちだった。見た目は人間と変わらないが、身長は1mほど。青い服にハーネスとブーツを身につけ、フランス語のような外国語を話していたが、少年には一言も理解できなかったという。
彼らは少年の顔を軽くたたくと、月面の宇宙飛行士のように重さを感じさせない身のこなしで、ひと跳びで機体に戻った。機体は降りてきたときと同じく真上へ上昇した。音は大きな鳥の羽ばたきや電気モーターに似ていたという。
現場には直径8〜10cm、深さ4〜5cmの丸い脚の跡と、子どものように小さな人間の足跡が残っていたとされる。洗濯中だった3人の女性も目撃したが誰も届け出なかったこと、連れていた3頭の動物がおびえもせず立ち尽くしていたことも、彼は付け加えている。

治安警察の尋問、ベッドの下の「ラジオ」
帰宅後、少年は長く体調を崩した。現場には県知事と大尉、治安警察(グアルディア・シビル)の伍長が訪れ、跡を測定していったという。少年は大尉に別室で問いただされても本当だと言い張り、大人なら投獄されていたと振り返っている。
さらに奇妙なことに、治安警察はひと月ほど彼のベッドの下に「ラジオ」を置き、夜の会話を聞いていたという。
近年、ラジオ番組から出演を誘われても応じていない。当時は相手にされなかったのに今さら騒ぐのは虫が良い、新大陸を見つけたコロンブスと同じ扱いだ、というのが一つ目の理由。もう一つは、放送で居場所を知られれば「彼ら」に殺されかねないという不安だった。
ブエノ博士は、ムニョス氏の受け答えを自然で嘘がないと評価する一方、過去の出来事を現在の技術知識で言い換える傾向があり、友人たちからは空想好きと見られているとも記している。そのうえで、出来事そのものは実際にあったと結論づけた。
四半世紀を経ても消えなかった恐怖は何を語るのか
3本脚の機体を月の住人の乗り物だと信じ続けた男の話は、子どもの記憶が長い年月で脚色されたものなのか、それとも本当に何かが降り立ったのか。手書きのメモ一枚から答えを出すことはできない。
ただ、四半世紀以上が過ぎても恐怖が消えず、彼らはいずれ人類の前に現れると信じていたという証言は、取材だと知らない相手に語られたものだ。当局が測ったという脚の跡と小さな足跡の記録がどこかに眠っているのなら、この話をただの空想と片づけるのはまだ早いのかもしれない。
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2024.10.02 20:00心霊11歳の少年が目撃した「月の住人」と3本脚の壺型UFO —— 取材と知らず語られた70年前の衝撃証言のページです。月、宇宙人、UFO、スペインなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで