>  > 『超不都合な驚知トーク 2015』イベントレポート

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※画像:『未解決ミステリーに挑む 超不都合な驚知トーク 2015』

 当サイト「TOCANA」でも執筆している水守啓氏主催のイベントが7月18日(土)、川崎市の「東海道かわさき宿交流館」にて開催された。

 プレゼンターは、水守啓氏(サイエンスライター、リバース・スピーチ分析家)、山口敏太郎氏(オカルト作家)、北芝健氏(元・警視庁刑事)の計3名。司会は、水木ノア氏(シンガーソングライター・宇宙人コンテストin福島実行委員長)である。

 今回のイベントの共通テーマは、「未解決ミステリーに挑む 超不都合な驚知トーク」。決して公表されることのない、恐ろしい陰謀やダークサイドミステリーを徹底的に暴く。「ここまで言っていいんかい?」といった手加減なしの恐怖のガチンコトーク! なのだ。では、3大ミステリーテラーが繰り広げた熱い内容を紹介しよう。


■第1部 秘匿されてきた古代人の知恵 by 水守啓(ケイ・ミズモリ)


 水守氏は、古代エジプト人の驚きの石工技術を紹介。紀元前において、巨石を扱い、精巧で壮大なピラミッドという建築物を造った古代エジプト人。しかしそれ以外にも彼らは、現代では特殊な機械を用いなければ作れない小さな造形物を作っていたという。

 たとえば、石をくりぬいて削った壺や石を薄く加工したお盆などだ。柔らかい粘土ならともかく、硬い石を加工するのは容易な事ではない。そこで水守氏は、ある仮説を立てた。

 そのヒントは古代インカ帝国にあるという。インカ人は、ある物を用いて石を自在に加工していた。「実は、エジプト人もインカ人と同じ方法を用いていたのでは?」と説いたのである。

 また、映画『インディー・ジョーンズ』のモデルにもなった探検家・フォーセット大佐は、古代エジプト人の高度な石工技術の鍵を握っていたという。

 結核に効果のある抗生物質「ストレプトマイシン」を発見したアルバート・シャッツ博士。だが、ノーベル賞の栄誉は、彼の指導教授のものとなってしまった。失意のシャッツ博士はその後、新たなテーマに注目した。「地衣類のキレート化現象」だ。地衣類とは菌類と藻類の共生生物であり、酸を分泌して岩肌の金属ミネラルを溶かすという。インカ人はある薬草を用いて石を柔らかくしていたそうだ。

 水守氏は、この石を柔らかくする草が、古代エジプトにもあったのではないかという説を打ち立てた。この発見は、これまでの考古学の常識をくつがえす理論ではあるが、未だにその事実は浸透しておらず、なぜか現在も異端の科学として扱われている。

 これ以外にも、地下にあると言われる幻のアトランティス大陸の謎にも迫る。先ほどの、探検家・フォーセット大佐は息子と共にブラジルのマットグロッソ州で失踪。彼は地元インディアンから聞いていた「光り輝く都市」=アトランティスを発見してそこに行ってしまったのでは? という噂がある。サイエンスの話から霊的世界の話しに繋がって行くという、自治にロマンあふれる壮大なプレンであった。


■第2部 勘違いや妄想から生まれる妖怪伝説 by 山口敏太郎

 柳田国男から水木しげる、そして、妖怪ウォッチまで。妖怪と民族学的をからめて分析しながら、妖怪進化論を分かり易く解説。「妖怪」が今のようにキャラクター化したのは、昭和30年代後半であり、それは水木しげるのせいであったという。それ以前の「妖怪」という言葉の意味は、化け物や怪奇現象を差す言葉だった。

 民俗学者・柳田国男が弟子たちを使って集めた日本各地の怪奇現象の一覧表を「妖怪の名簿だ」と勘違いしたのが水木しげるだったという。たとえば、「ぬりかべ」「一反木綿」といった怪奇現象を若き日の水木は、「そういう名前の妖怪がいるのだ」と思い込み、そこからインスパイアされて鳥山石燕が描いた化け物たちの絵を妖怪化したのである。

 つまり、民俗学データと江戸の化け物絵を合算して「妖怪」という新しい日本語を創ったのは、水木しげるなのだと説き、現象からキャラクターへの語源の変化を説明した。

 また、妖怪は後付などによる変化で、元々あった形や性質まで変形する……。昭和40年代頃の子ども本ブームでも活躍したオカルト研究者・佐藤有文氏の『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』(立風書房)。そこには、佐藤有文発の創作情報がかなり入っているという。

 たとえば「びろーん」という妖怪は、「コンニャクのようにブヨブヨした妖怪で『びろ・びろ・びろ~ん』という呪文を唱えて出て来る」と佐藤氏は紹介しているが、掲載されている江戸時代のオリジナルの絵には「ぬりぼとけ」としっかり記載されている。そう、佐藤氏は強引に名前を「びろーん」と変えてしまったのだ。これも緩かった昭和時代の事だから出来た芸当だったのだろう。

 山口氏は、妖怪のフィールドワークを長年行っているが、現場で話を聞いてから5年ほど経った後に、同じ地域の人に話を聞くと以前よりも話が面白くなっていることが多々あるという。人間とは、いろいろな人に語っているとサービス精神が出て来て話がだんだん脚色されて行くという。これは、昔話の進化と似ているだろう。また、子泣き爺は実在の人物であった、座敷童の封印された事実など、民俗学の闇にも触れた。

 山口氏の巧みな話術とユーモアで、会場は笑いが絶えなかった。

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