
――田中監督が映画監督になったきっかけを教えてください。
田中幸夫監督(以下、田中)大学進学は東大、京大以外は認めないという家庭に育ったので、学生時代は外交マンか商社マンになろうと思っていた。進学校のクラスメートは弁護士とか医者になるような生徒ばかり。その時に、『俺ってこいつらと一緒か? 俺ってなんだろう?』という思いから映画を観だして、必然的にドロップアウトすることに。2年くらい神戸で麻雀に没頭。そして、24歳の時、近くに住んでいた女優さんである、宝塚映画や東宝映画に出演していた吉川佳代子さんが結びの神となって、僕のお師匠さんにあたる板坂靖彦さん(加山雄三の若大将シリーズや植木等の無責任シリーズの助監督を担当)と出会った。長編と短編、二本のシナリオを持って行くと、「書けるじゃないの」と認められ、大阪本町にあるCMプロダクションを紹介された。そこでは僅か2ヶ月目に、CMにナレーションをあてる仕事を任され、一晩で書きあげて社長に持っていくと、3万円くれた(ちなみに当時の3万円は、今の10万円くらいの感覚)。麻雀か映画、どっちを生業にするか本気で迷った挙げ句、入社することに。それからは映画一筋で、24~25歳の時にフリーランスとして独立した。