――ドキュメンタリーを撮り始めたのはいつ頃からでしょうか?
田中 1990年くらいから、被差別部落の問題とか在日韓国・朝鮮人の問題とか、いわゆるマイノリティー問題を撮ってほしいというオファーがあり、本格的にドキュメンタリーを撮りだしたのが、1995年に起きた阪神淡路大震災の時から。阪神淡路大震災が起きた時、僕はインドのカルカッタにいて、宿泊していた安宿に友人のインド人記者から、「神戸が地震でヒロシマみたいになってるぞ」って電話が掛かってきた。TVを観ると、神戸の街を空撮している映像が流れ、まるで空襲後の焼け跡。高速道路が崩壊した、“誰もが覚えている映像”があったと思いますが、そこから500メートルほどの距離に実家があったので、すぐに帰国。日本に戻って最初の仕事が震災で被害を受けた神戸の地場産業が復興できるかどうかというNHKのスペシャルドキュメンタリーだった。その時は地元が被災した映像を撮るのは辛いなとか思いながらも、ドラマとは異なるドキュメンタリーの奥深さや、予想のできない何か、何より、人間を撮ることの面白さに気づいて、結局、震災のスペシャル番組を3作品制作。それがきっかけで、NHKのドキュメンタリー番組や、自主制作の記録映画をやっていくようになった。