――本格的に劇場映画に踏み出したきっかけは?
田中 NHKのドキュメンタリーにしたって、民放のドキュメンタリーにしたってTVはTV。やはり作っていて物足りなさを感じる。「最大公約数的に皆が理解できる物を作る」、これはマスメディアの使命でもあるけれど、そうではない、含みのある何かを作ろうとしたら、別の所で発表する方法でないと、中々むずかしいワケ。僕は被差別部落の問題をやっていたけど、そんなのはTVでは放送できない。だから、人権をテーマに製作したセルビデオを東映や岩波で販売してもらったりした。
そういう経過があり、日本で一番大きい被差別部落があるのは西成について撮らないといけないという想いが生まれ、『未来世紀ニシナリ』を2005~2006年に撮影。その発表の場として、劇場公開に踏み出した。この作品は、文化庁から芸術文化振興基金の助成も受け、2007年のキネ旬のベスト3に選ばれた。自分の好きなように作って映画館で上映する、その手がかりをつかんだ後、『日本の忘れ物~塩飽諸島本島ものがたり』『Pak-Poe 歌いたい歌がある』などを撮っていった。