東京の幽霊出る街、怖い街ベスト5 オカルト研究家が選ぶ最恐の心霊スポット
■3位 吉原=遊女の霊が出現
・吉原神社、弁天池跡
心霊関係の先輩に「東京でいちばん怖い場所はどこですか?」と聞いたことがあります。彼の答えは「深夜0時を過ぎた後の、吉原だね」。
それは色恋にまつわる人間の情念が渦巻いていた土地だからという理由が一つ。もう一つは、おそらく世界的に見てもトップクラスなほど「死者の人口密度が高い」場所だからです。
古くは江戸の大火から、関東大震災、東京大空襲と、吉原遊郭は何度となく壊滅しています。吉原は市街地にありながら、真四角に区切られ閉じた空間。しかも遊女たちの脱走を防ぐため、唯一の出入り口である「吉原大門」は常時閉められていました。江戸や東京に火の手があがれば、彼女たちに逃げ場はありませんでした。あるものは焼け死に、また火を逃れようとお堀や弁天池へ飛び込んだものは折り重なるように溺死していったのです。
僕もここで奇妙な体験をしたことがあります。友人3人と深夜の吉原を散策していた時。なにもない裏路地を、僕1人が先をゆき、その数メートル後ろを友人3人が横並びに歩いていました。すると背後から「んっ!」「えっ?」「あっ?」と3人の叫び声が順々に響いたのです。驚いた僕が問いただすと、3人ともが口々にこう言いました。
「強烈なおしろいの匂いが、左から右にすうーっと流れていったんだ」と……。
怖気をふるった僕たちが、急いで吉原神社へと参拝したのは言うまでもありません。そこを出て右に100メートルほど歩いたところが、弁天池の跡地。中心には、関東大震災で亡くなった遊女たちを弔う「吉原観音」が、巨岩の上にすっくと立っています。その下には十年ごとに奉納される供養塔が無数に並び、鎮魂の想いが長年に渡って続いているのが分かります。
とはいえ、ここも悲惨なだけの場所ではありません。ボランティアの美大生たちが描いたカラフルな天女があったり、神社では若者たちによる芸術イベントが定期的に催されたりもしています。何度となく壊滅しようと、その度に復活していった吉原遊郭の力強さが、今でも伝えられているのでしょう。
■2位 赤坂~番町=妖婆の霊が出現
・紀伊国坂、鬼婆横丁
皇居・半蔵門から外堀までの一帯といえば、カッチリした背広の大人がゆきかう、ザ・都会。心霊スポットとは最も縁遠いようにも思えます。しかし昔から公用地の側面が強いこの土地には、政治がらみの怪事件や陰謀がたっぷりと隠されているはず。また江戸でも屈指の心霊スポットだったとも言えるのです。
例えば小泉八雲の『むじな』。ある商人が坂を登る途中、お堀の縁にかがんで泣いている女性がいた。心配して声をかけると、振り向いた顔は目も鼻も口もないのっぺらぼう。肝をつぶした商人が一目散に逃げた先には、そば屋の屋台が提灯を照らしていて……というお馴染みの怪談です。この話の舞台となるのが、赤坂見附から赤坂離宮まで登る紀伊国坂。商人が逃げた先の屋台があったのは、おそらくホテルニューオータニの正面入り口あたりでしょう。ちなみに紀伊国坂の由来は、堀の向こうに紀州徳川家の屋敷があったから。明治維新によって千駄ヶ谷に移転する紀州徳川家ですが、その因縁がここにもありますね……。
また、岡本綺堂が発表した江戸時代の怪談『妖婆』の舞台もそこからすぐ、番町の南側です。江戸時代には大名と旗本の屋敷ばかりだった番町。嘉永四年一月十五日、旗本屋敷のカルタ会に若侍たちが集まります。すると彼らは口々に、雪ふる小路に一人の老婆がうずくまっていたと言い出して……。
後に「鬼婆横町」と呼ばれた小路にまつわる非常に不気味な小説で、「これは実話だろう」と確信させるほど、番地や位置関係が詳細に記されています。現在は無くなってしまった鬼婆横町ですが、嘉永年間の古地図と照らし合わせたところ、その跡地らしき見当を付けることはできました。住宅街なので住所の公開は止めておきますが、写真だけ載せておきます。勇気のある方は、深夜にひっそり訪れてみてはいかがでしょう。
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