明治時代を鮮やかに色づけた伝説の写真師「KIMBEI」を知っているかい?
■豪華絢爛、金兵衛アルバムとその衰退
金兵衛の名を広く海外に知れ渡らせたものに「金幣アルバム」と呼ばれたものがある。手彩色を施したプリントを束ね、表にいかにも日本風な蒔絵や漆塗りや螺鈿細工を施した豪華絢爛な作品がある。全てが複製物ではないため一点一点違う細工になっており、海外の富裕層の間で大人気商品となったのだ。見るからに表の細工だけでも相当な値段がしそうなものだけに、アルバム自体相当な金額だったことは想像に難くない。
ところが昭和の足音が聞こえてくる頃になると、1枚1枚暗室でプリントされた写真に彩色職人が色づけた横浜写真は手間もかかり高価であることから、カラーフィルムや印刷技術の台頭によって静かに姿を消していくことになる。そして伝説の写真師「KIMBEI」も歴史の渦の中に忘れ去られていくのである。
写真文化が芽生えていくにあたり、金兵衛の写真はあくまで外国人をターゲットにしたポストカードとして見られ、外国人に人気だった演出がやらせっぽく、かえってアート作品としての評価を落としてしまったのである。とくに手彩色は長い間、写真とも絵とも言えぬ中途半端なものとして見られ、一世を風靡したものの金兵衛写真は評価の対象にすらされなかったのだ。
明治時代の紹介に金兵衛の写真が採用されることはあったが、そこに彼の名前は出てこなかった。金兵衛の名前が再び脚光を浴びるのは彼の死後半世紀ほど経った頃のことである。1979年、アートディレクターのClark Worswick氏が金兵衛が活躍した時代の写真をまとめた「Japan: Photographs 1854-1905」という写真集を出版したことによって金兵衛の写真は再び人々を魅了することになるのだ。そして「KIMBEI」の名も蘇ったのである。これは時代が経て多様性を受け入れる意識がようやく社会に芽生えてきたからかもしれない。
金兵衛は上記のような外国人向けの写真だけでなく、地味ではあるが山奥の人々の暮らしなど今となっては記録として非常に有益な作品も残している。時に切腹の様子なども撮影している。時代に翻弄された伝説の写真師「KIMBEI」がいたからこそ、その後の写真界の発展があったということを忘れてはならない。
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2024.10.02 20:00心霊明治時代を鮮やかに色づけた伝説の写真師「KIMBEI」を知っているかい?のページです。明治、KIMBEI、彩色、日下部金兵衛などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで