【日本怪事件】「うおーっ、むかついた! ぶっ殺す!」残酷すぎる通り魔殺事件3選

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【CASE 3】池袋・通り魔殺人事件

「この小汚い者達から存在、物質、生物、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する。これは存在するものでもなく、物でもなく、生物でもなく、動物でもなく、人間でもなく、何をやってもいい、何も許さないという意味だ」

 事件前に、造田博が外務省に送った手紙には、支離滅裂なことが書かれていた。同様の内容の手紙は、国会や裁判所、警視庁にも届いていた。

 昭和50年、造田博は岡山県倉敷市で生まれた。彼は学問に長じており、地元の名門、県立倉敷天城高校に進学。だが以前から、彼の両親はパチンコ、パチスロ、競艇、競輪などのギャンブルに興じ、抱えた借金は1千万円とも2千万円とも言われていた。借金取りから逃れるため、両親は朝早くに家を出て帰ってくるのは深夜だった。

 借金取りに怯えていた造田は、高校を2年で中退、その後は弁当屋やパチンコ店、造船所の塗装会社などで働いたが、どれも長続きしなかった。

 平成10年、造田は渡米し、オレゴン州ポートランドで暮らす。キリスト教に惹かれ、「キリスト教徒は全員努力している人」「アメリカ人はほとんどが努力している人」と考えたからのようだ。だが英語力がなかった造田は、生活に困窮し、パスポートを破り捨てるという奇行にまで至った。日本領事館に保護された時には、日本人ともまともに話せないほど錯乱していたという。造田のアメリカ滞在はわずか3カ月でピリオドが打たれた。

 平成11年4月、造田は東京・足立区の新聞販売店で配達員として働き始め、4カ月ほど経った9月1日、寝坊して遅刻した。そのため、所長に勧められ携帯電話を購入。所長にだけ連絡先を教えていたのだが、せがまれて同僚のひとりに、造田は連絡先を教えた。そして、9月3日の夜、寝入りばなに無言電話があり、これを同僚のイタズラと決めつけて、造田は腹を立てる。

 後の公判で、この出来事と犯行の関連を、造田は語った。

「携帯電話にかけてきた人も実際にはわからないということもありましたけれども。それで、そのまま頭にきていたということもありますけれどもそれで、日本に大勢いるような人を……その同僚の人ですけれども、日本に大勢いるような人だと思ってたので、それで、頭にきていたままだったので、日本に大勢いるような人に殺意が生まれました」

 9月4日、次のような犯行予告とも取れる言葉をレポート用紙に書き、間借りしていた自室の扉の外側に貼り付けると、午前3時頃、造田は外に出た。

「わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。わしもボケナスのアホ全部殺すけえのお」

 造田はこの時、23歳。その日は仕事に行かず、池袋の東急ハンズでステンレス製の洋包丁と金槌を買い、その後4日間は、赤坂のカプセルホテルに泊まり、池袋を徘徊した。

 9月8日午前11時半頃、東急ハンズ前で、デイパックから取り出した洋包丁と金槌を振り回しながら、造田は叫んだ。

「うおーっ、むかついた! ぶっ殺す!」

 電機製品を買いに来ていた老夫婦が襲われた。夫も怪我を負ったが、包丁で刺された66歳の妻の胸の傷は深さ16センチに及び、その場で息を引き取った。また海外旅行のためにパスポートを受け取りにサンシャインシティに行こうとした夫婦も襲われ、29歳の妻が死亡した。重軽傷を負った者は6人に及ぶ。

 無言電話から殺人に至るという思考の脈絡のなさに弁護側は、誇大妄想による心神喪失、もしくは心神耗弱を主張したが、平成19年4月19日、最高裁で造田に対する死刑判決は確定した。
(文=深笛義也)

■深笛義也(ふかぶえ・よしなり)
1959年東京生まれ。横浜市内で育つ。18歳から29歳まで革命運動に明け暮れ、30代でライターになる。書籍には『エロか?革命か?それが問題だ!』『女性死刑囚』『労働貴族』(すべて鹿砦社)がある。ほか、著書はコチラ

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