■沖縄の人々のやさしい拒絶
ふらりと本土からきた写真家に対する沖縄の人々の対応は生易しいものではなかったようだ。おまえは沖縄で何を撮るのだ? 何を持ち帰るのだ? という問いをぶつけられショックを受けた。“やさしい拒絶” にもたびたび遭ったという。
「本音を口にしてくださった方には改めて感謝したい。『こいつには解らない』と思われて相手にもされないことが始めのうちは多かったし、そのほうがキツかった。本音を伝えることは彼らにとっても苦痛なのです。時間を費やし精神も疲労するなかで、わざわざこちらのために語る必要なんてそもそもないんですから。『まぁ、がんばれよ! 期待してないけど…』と苦笑いを浮かべ立ち去っていく人がほとんどでした」(初沢)
沖縄での1年3か月、初沢は地元の人と話すことに撮影そのものよりもはるかに多くの時間と力を注いだ。沖縄の言論界、琉球ナショナリストや独立学会のメンバーたちや現地の写真家など、ナイチャーに対して厳しい視線を持つ論客、表現者たちと可能な限り関わった。
「日本人に対して最も厳しい発言をする人たちと積極的に関わり、繰り返し話を聞く中でようやく身体感覚で理解できるようになったことも多かった。最初は対話が全く成立しないんですよ。けちょんけちょんにやり込められ、笑うことすらできなかった。無意識に抑圧者としての目線で、わけのわからない差別発言をしていたんだと思います。飲み屋から帰った後、自分には何が解っていないのかを朝まで毎晩のように考えました。本土からの移住者の多くは彼らとは関わりを持ちたがらない。表向きナイチャーに優しい人とばかり関わろうとします。受け入れられている、と実感したいからでしょう」(初沢)