現代魔術研究第一人者が語る! バチカンがエクソシスト活動に積極的になった理由とは?
Q.バチカンがエクソシストの活動を積極的に報じるようになった理由はなんでしょうか?
磐樹 バチカンは確かに、これまで慎重な距離感を保ってきたエクソシズムに対して、近年注目すべき歩み寄りを見せています。カソリック内部でも長年物議を醸してした国際エクソシスト協会(IAE)に対して、2014年10月にフランシスコ教皇は長年のバチカンの態度を一転させて支持を表明し、話題になりました。この時同時に、ビッグバン理論とダーウィニズムに対してフランシスコ教皇が融和的と言える声明を発表したことも含め、バチカンはこの時期に大きな方向転換を打ち出したと言えます。これは15世紀初頭以来のローマ教皇の自主辞任(ベネディクト16世)の直後、コンクラーベで選出されたフランシスコ教皇が打ち出した、大胆な方向転換の一連の流れです。
特にエクソシズムに対する態度の変化に絞って、その背景を私なりにざっくりと分析します。バチカンはこれまで、エクソシズムに対して非常に慎重かつ曖昧な態度でお茶を濁してきました。エクソシズムは、極めてプリミティブなトランス感覚、呪術的要素を含んでおり、80年代以降、センセーショナルなエクソシズム儀式でメディアを賑わせるカソリック神父たちはバチカンの頭痛の種となっていました。そのプリミティブなトランス感覚をバチカンとして公に認めることは、1960年代第二バチカン公会議以降のカソリック近代化の流れに反することであり、受け入れ難い先祖返り的退行を意味するわけです。
とはいえ、ストレスが高まる一方の世俗社会にあって「癒し」へのニーズは高まる一方で、そのマーケットは精神医療やセラピー、ニューエイジ/スピリチュアル、そしてバチカンからは異端的と見做す他ない、より呪術的・土着的要素を含む諸宗派(ペンテコステル派、カンドンブレ、ブードゥなど南米・カリブの民俗宗教、復興魔女宗など)が一手に引き受けてきましたその流れのなか、恐らくバチカンはエクソシズムを承認してでも、プリミティブなトランス感覚、宗教的癒し体験をカソリック内部に取り込み、少しでも癒しのマーケットに食い込んでいかないと、宗教として全く世俗のニーズに応えられない「時代遅れ」となる、という危機感を抱いたのかもしれません。つまり、サタニズムや無神論といった「悪魔的」事象の増加への対応というよりは、マーケット戦略的な必要性に迫られて渋々、という側面が大きいと言えるわけです。
近年、エクソシズムと「悪魔」の問題がとりわけセンセーショナルに語られる背景としては、上記に加えて別の政治的側面を指摘できます。ぶっちゃけキリスト教世界における「悪魔」は大変ご都合主義的な面も多分にあり、たとえばプロテスタントはローマ法皇を、カソリックはプロテスタント、フリーメーソン、自然科学、ニューエイジなどをそれぞれ「反キリスト」として喧々囂々糾弾してきた、という歴史的事実があります。「バチカン・テープ」で最終的に描かれる反キリストが、いわゆるニューエイジ、スピリチュアルといった20世紀後半世俗文化を操る陰謀的存在であるのも、前世紀からのカソリックの「お約束」なんですね。
しかし例えばアメリカ南部の保守的・原理主義的なキリスト教徒にとって、それは今でも背筋も凍る恐怖として共感されるわけです。80年代以降勢力を増してきたキリスト教原理主義、ネオコン的宗教右派の、素朴なおっちゃんおばちゃんたちにとって単純にわかりやすい、ステレオタイプ的な反キリストの描写は、この作品の背景にある素朴なプロパガンダ性を伺わせます。まぁ特にアメリカには未だそういう一面が根強くある、ということを実感させる作品とも言えるわけです。そのヒリヒリするような「反キリスト」への根源的恐怖の感覚が、「バチカン・テープ」にはあられもなく噴出しています。その背筋の凍る恐怖感覚を味わえるのも、この作品の魅力のひとつと言えるでしょう。
ただまぁ、こんな冷静な状況分析だけではこの作品のプロモーションとしていまひとつ盛り上がらないかも知れないので、もうひとつの視点を指摘しておきます。近年、確かに「悪魔の復活」を思わせる事象は増加しています。
■米ダラスで警官が黒人を殺害、講義デモで警官が5人射殺
■フロリダで史上最悪の銃乱射事件、51人死亡
■悪魔の時代のニュース(3): 憤怒と激怒と共に世界中で暴れ出している「裸のレギオン」たち
ここ最近だけでも、全部を思い出せないほどの勢いで、かつては考えられなかったような虐殺事件、テロ事件が頻繁に起きています。ちょっと古いものでは、こういう「悪魔的」な事件もありました。
■新種の合成麻薬「バスソルト」で錯乱し、全裸で人間の顔を食いちぎって射殺された事件
こうした「悪魔的」事象と、バチカンがエクソシズム承認に舵を切ったことには不気味な符号が感じられるのも事実です。「バチカン・テープ」では、アンジェラの悪魔憑き現象に常にカラスが不気味な予兆として表れますが、現バチカン教皇の就任直後にこんな事件も起きています。
先述のとおり、前教皇ベネディクト16世は15世紀以来、はじめて自主辞任(健康上の理由)しており、続いてコンクラーベで選出された現教皇フランシスコの鳩はカラスの餌食になっています。
映画「エクソシスト」ではカットされた、原作小説のみに出てくる、主人公リーガンの母(無神論者)のセリフに、こういう一節があります。
「神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝の役をつとめます。悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。」
聖書においても、サタンは神に任命され、人間を惑わすという「職務」を担う存在としても描かれます。現代世界に悪魔が頻出し、あちこちで人々に憑依する事象が増えているとすれば、それを神の布教キャンペーンと見ることもまた可能なわけです。神の御心は矮小な人間には計り知れない謎、なのです。
Q.最後に、本作の見どころについて教えてください。
磐樹 この作品では、悪魔は「2段階変化」します。前段のビースティックな悪魔像は、古代中東の異教神バアルを原像とする、「エクソシスト」「ザ・ライト」にも通じるある意味アーキタイプ的な悪魔像であり、非キリスト教圏の我々にも馴染み深い「悪魔」です。そして後段、神父の優勢に追い詰められたかに見えた悪魔は、光とともにその最終形態、世界を破滅に導く眩いブロンドの反キリストへと変容し、圧倒的な勝利を宣言しつつ観客を魅了します。聖書に記述される堕天使の長ルシファーLuciferは、「光を掲げるもの」の意で、その美しさ故に金星と関連づけられます。聖書世界における典型的な悪のイメージが、かくも輝かしい光輝と一体であることに、キリスト教文化に馴染みの薄い日本人は驚くのではないでしょうか。
これはキリストの究極の対立者である反キリストが、輝かしい光を纏い世界を魅了する存在として対置される、キリスト教的終末観の深層を貫く強烈な衝動、戦慄の可視化であり、多くの日本人に未だ馴染みのないキリスト教世界の底知れない深みと捻れを垣間見る、稀有な映像体験としてのインパクトを持つでしょう。
この作品が表出している、善と悪の間に閃く光の戦慄と恍惚、結末を拒否する果てしない絶望叙事詩、これらがまさに21世紀のエクソシストナラティヴ(物語)と言えるのではないでしょうか。
磐樹炙弦(ばんぎ・あぶづる)/ 現代西洋魔術研究・翻訳。クロウリー、ケイオス、サイケデリック、アート、ポップカルチャーを横断し「いまここのMagick」を探求。訳書にグリーア「タロットワークブック」ポラック「タロット バイブル」クロウリー「ほうのしょ」 編集「魔女の文化史 女神信仰からアニメまで」海野弘(朝日新聞出版)など。
・http://tokyo-ritual.jp/bangi.html
・bangivanzabdul.net
公開表記:ヒューマントラストシネマ渋谷ほか大ヒット上映中
公式サイト:http://vaticantapes.com/
予告編youtube:https://youtu.be/nvTihxI85vY
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