【3.11特集】雲仙・普賢岳噴火による津波被害を題材にした幻の日米合作映画『大津波』の内容と撮影風景を天野ミチヒロが語る

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――天野ミチヒロ緊急寄稿

【3.11特集】雲仙・普賢岳噴火による津波被害を題材にした幻の日米合作映画『大津波』の内容と撮影風景を天野ミチヒロが語るの画像1※画像:原作となった『つなみ THE BIG WAVE』

『大津波』
1960年製作・アメリカ(日本未公開)
監督・脚本/タッド・ダニエルスキー
出演/早川雪洲、伊丹一三(現・伊丹十三)、笹るみ子、ミッキー・カーチス、ジュディ・オングほか

 3月11日、東日本大震災から今年で6年。私は2011年の夏、復興の手伝いで石巻を訪れたが、そこで直面した光景は筆舌に尽くし難く、被災者への配慮を言い訳に原稿作成から逃げていた作品がある。特撮の神様・円谷英二が撮影を担当した、日本未公開でソフト化もされていない幻の映画『大津波』(1960年製作)だ。

 昨年の10月17日、『大津波』のヒロインを演じた笹るみ子さんが天に召された。るみ子さんは1957年、東宝にスカウトされ『青い山脈』(監督・松林宗恵)でデビュー。東宝の看板作品「社長シリーズ」などに出演し、1966年に引退した。そしてタレント・なべおさみさんの夫人であり、学生時代からの親友・なべやかん君の母親だ。私がなべ家へ遊びに行く度るみ子さんは、働きながら夜間大学に通う貧乏な私の身を案じ、食べ物を持ちきれないほど持たせて帰した。その施しは昨年まで30年以上続いた。すでに母が他界している私にとって、るみ子さんは「第二の母」のような存在だった。

 まだショックが抜けきらない今年1月、円谷英二の直弟子・中野昭慶(てるよし)監督に運よくお会いすることが叶った。業界やマニアの間で「なかのしょうけい」と親しまれている特撮界の大御所だ。中野監督が手掛けた『ノストラダムスの大予言』、北朝鮮映画『プルガサリ』などは当コラムの読者ならお馴染みの作品であろうが、『大津波』の特撮も中野監督の仕事だった。るみ子さんの魂が中野監督に引き合わせてくれたと感じ、「もう逃げてはいけない」と私は筆をとることにした。

 るみ子さんはアフレコで自分のシーンだけは観たが、完成試写を観ないままこの世を去った。生前のるみ子さんとロケ写真のアルバムを見ながら聞いた撮影裏話を交えて、作品の全容に迫ってみよう。

 中国暮らしのアメリカ人ノーベル文学賞作家パール・バックは、1927年の南京事件から逃れ長崎県雲仙市に疎開した。彼女は住民から1792年に発生した雲仙普賢岳噴火による大津波の話を聞かされる。家族や家を津波で失った少年が逞しく成長していく様子に感銘を受けたバックは、それを下敷きに描いた小説『The Big Wave』を1947年に発表した。

 1960年、『The Big Wave』は米国ストラットン・プロダクションと東宝による日米合作で映画化された。これを私は劇場用作品と勘違いしていたが、どうやら米国のテレビムービーらしい。だがホノルルで劇場版と思しきポスターを入手した人がいるので、劇場公開もされたのだろう。ここからは便宜上、『The Big Wave』を『大津波』で統一して進行する。

 物語の舞台は、具体的な場所を特定していない小さな村。両脇が海で囲まれたわずかな面積の平野部には漁村があり、山の斜面では農業が営まれ、山頂には長老が住んでいた。長老を演じたのは、アカデミー賞作品『戦場にかける橋』(57年)などに出演しているハリウッド草創期の大スター・早川雪洲(せっしゅう)。

 漁師の子・トオル(設楽幸嗣)と農家の子・ユキオ(太田博之)、その妹・セツ(小5のジュディ・オング)は大自然の中で伸び伸びと暮らしていた。トオルに恋する海女の娘ハルコは、彼と仲良しのセツに日頃から辛く当たっていた。トオルの父親役・中村哲とユキオの父親役・ヘンリー大川は、怪獣ファンならお馴染み円谷作品常連の国際的俳優だ。

 作品開始30分ほどで最大の見せ場がやってくる。ある日トオルの父は、普段は見ないサメが沿岸近くに現れたことから津波を警戒し、念のためトオルを高所にあるユキオの家に預ける。その夜、普賢岳が噴火して地震が発生し、大津波が漁村を襲う。

 中野監督は「テレビ用なので1カットが短くて迫力がイマイチ」といった旨の感想を述べていたが、なかなかどうして短時間なりに凄まじい津波シーンであることに変わりない。アナログ特撮の粋を尽くした職人技は、60年近く前の映像とはいえ、迫力という点では決して現在のデジタル映像に劣っていない。むしろ生々しい恐怖を感じる。

 オープニングに流れるスタッフ紹介の「スペシャル・エフェクト(特殊効果)」で、5人の名を発見する。キャメラマンの有川貞昌と荒木秀三郎、美術監督の渡辺明、照明の岸田九一郎、最後は円谷英二。この5人は『ゴジラ』(54年)の精鋭だ。そしてこの手練れの中で臆さず剛腕を振るっていた若者が、1959年に東宝砧撮影所へ入社したばかりの中野監督。名前がクレジットされない新人にも関わらず、円谷英二監督から全幅の信頼を受け、作品にとって肝といえる津波の特撮を任されたスーパールーキーだった。

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