2700年前、淡路島にイスラエルの失われた10支族がやって来た!? 「日ユ同祖論」の決定的証拠を歴史研究家が明かす!

■地元の歴史研究家が熱弁

2700年前、淡路島にイスラエルの失われた10支族がやって来た!? 「日ユ同祖論」の決定的証拠を歴史研究家が明かす!の画像212氏族の紋章。うち10支族の行方がわからない。
画像は「Wikipedia」より引用

 真実に一歩でも近づくため、筆者は淡路島に暮らす地元の歴史研究家で、日ユ同祖論について研究し、ヘブライ語もたしなむU氏に問題のユダヤ遺跡であるイスラエル塚について質問した。

――日本人のルーツを考えるにあたり、淡路島洲本市のイスラエル塚は大変興味深い遺跡です。淡路島とユダヤ人とのつながりを示す伝承が他にもあるのでしょうか?

U氏  今は亡き古老に聞いた話です。その昔、淡路島で大干ばつが起きたとき、ある溜め池が干上がったそうなのですが、すると水面下に六芒星の形をした石組が現れたといいます。その溜め池がどこなのかはわかりませんが、イスラエル塚の近辺であるという説、灘油谷(なだゆだに)という南あわじ市の近辺であるという説もあります。これは、灘油谷の語源が「ユダヤ」という言葉だとする解釈に基づいています。 

――それにしても、日ユ同祖論を裏づける証拠として、青森にある「キリストの墓」や、モーセが来訪したという伝承が残されている徳島の「剣山」などに比べると、淡路島のイスラエル塚は知名度が低いように思えるのですが。

U氏  残念ながら、淡路島でさえイスラエル塚を知っている人は多数派ではありません。しかし、海外ではとても名前が知られており、有名なのですよ。


 賢明な読者ならご存知の通り、日本も含めた各国の大手メディアは、総じて“ユダヤ絡み”の報道について及び腰だ。しかし、インターネットの普及や人的交流の活発化によって、ようやく淡路島にある古代ユダヤ遺跡に関する研究が脚光を浴び始めた現在、我々のルーツが明らかになる日が着々と近づいているのかもしれない――。

文=深月ユリア

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