地獄のアウシュヴィッツ強制収容所から脱出成功した5人! 自ら収容所に潜入、仲間は次々銃殺、なりすまし…驚愕のエピソードとは?
アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が第二次世界大戦中に建設したアウシュヴィッツ強制収容所では、100万人以上が命を落としたといわれている。収容所内には厳重な警備が敷かれ、監視塔や電気柵が張り巡らされるなど脱出は事実上不可能とされていた。そんな中、900人以上の囚人が脱出を図り、実際に脱出後生き残った囚人はわずか144人だったという。今回はアウシュヴィッツ強制収容所から脱出を成功させた勇敢な5人を紹介しよう。
■エウゲーニシュ・ベンデラ
アウシュヴィッツ強制収容所から脱走した人物として、ポーランド軍の兵士カジミェシュ・ピエホフスキーは有名だろう。しかしカジミェシュと共に脱出計画を立てた、ウクライナ人のエウゲーニシュ・ベンデラを知る者は少ない。ベンデラのガス室行きが近いことを知ったピエホフスキーとその仲間は脱出計画を考え、1942年6月に実行。彼らは盗んだナチス親衛隊の制服に身を包み、複製した鍵を使いガレージに駐車された車に乗り込んだ。そして堂々と正面ゲートへと向かい、ナチス式敬礼で「ヒトラー万歳!」と叫んだという。ゲートの警備員は、彼らを本物のナチス親衛隊の一員だと思いゲートを開門。ベンデラは収容所からの脱出後、ポーランド・ワルシャワで生涯を終えたという。
■ヴィトルト・ピレツキ
ポーランド軍の兵士ヴィトルト・ピレツキは、自ら志願しアウシュヴィッツ強制収容所へと潜伏し内部調査を行った人物として知られている。1940年に偽名を使い収容所へと潜入したピレツキは、秘密裏に情報を収集しながら収容所内の実態を綴った3つのレポートを作成。潜入から約3年が経過した1943年4月に、ピレツキは2人の囚人と共に脱出を成功させた。ピレツキはその後も反ナチス運動を続け、1944年にはワルシャワ蜂起に参戦。終戦後には母国ポーランドを支配した旧ソ連の提唱する共産主義に反旗を翻し闘いを挑むが、1948年には拷問・暗黒裁判の末に処刑されてしまった。
■ジョージ・ギンズバーグ
ユダヤ人家族の下に生を受けたジョージ・ギンズバーグは、第二次世界大戦下のドイツ・ベルリンで抵抗運動に参加。1942年には反ナチス運動に加担した罪で拘留され、その後アウシュヴィッツ強制収容所へと移送された。そして終戦も目前となった1945年、収容所へロシア軍が迫っていると知ったナチス親衛隊はパニックに陥ってしまう。脱出の機会をうかがうギンズバーグがこの好機を逃すはずもなく、警備員が気をそらした隙に脱走を成功させる。脱出から2日後には、旧ソ連軍に救出されたギンズバーグ。終戦後にはベルリンへと帰還し、母親との再会を果たしたという。
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2024.10.02 20:00心霊地獄のアウシュヴィッツ強制収容所から脱出成功した5人! 自ら収容所に潜入、仲間は次々銃殺、なりすまし…驚愕のエピソードとは?のページです。ドイツ、ナチス、ヒトラー、ポーランド、山下史郎、アウシュビッツ強制収容所などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで