「ママ、助けて…」電話の声はAIが作り上げた娘の偽声だった…… 大金を騙し取られた母親が明かすAI誘拐詐欺の恐怖

我が子の泣き声なら何万人の中からでも聞き分けられる——多くの親はそう信じている。だが、その「絶対に間違えるはずのない声」を機械が完璧に作り出せるとしたらどうだろう。アメリカ・カリフォルニア州に暮らすデボラ・デル・マストロさんは、ある朝の電話でその恐怖に直面した。受話器の向こうで泣き叫んでいたのは、間違いなく娘の声。しかしそれは、AIが合成した偽物だったのだ。
朝食の食卓を襲った一本の電話
事件が起きたのは2026年5月14日の朝。マルティネスの自宅で朝食をとっていたデル・マストロさんのもとに、見知らぬ番号から着信があった。電話に出ると、男はいきなり「あなたが話すべき相手だ」と告げ、37歳の娘サラ・ドナルズさんがメキシコの麻薬カルテルに誘拐されたと言い放ったという。
男いわく、サラさんは「見てはいけないもの」を目撃したために連れ去られ、今まさに殺されるか売り飛ばされる寸前にあるという。そして男は、不安に駆られる母親に「証拠」を聞かせた。受話器から流れてきたのは、激しいパニック状態で「ママ、愛してる、ごめんなさい、すごく怖い」と訴える娘の声——そこで通話は唐突に断ち切られた。娘がすすり泣き、息も絶え絶えに謝っている声を聞いた瞬間、あごが外れるほど衝撃を受けたと、彼女は後のインタビューで振り返っている。
5時間の支配と5400ドルの送金
我が子の命がかかっていると思い込んだ母親に、冷静な判断を下す余裕はなかった。男はその後5時間にわたってデル・マストロさんを電話口に縛りつけ、誰にも連絡を取るなと命じ、いつ・いくら送るかを逐一指示し続けたという。
恐怖に支配された彼女は複数の場所を回りながらメキシコへ送金を続け、総額は5400ドル(日本円でおよそ85万円超)に達した。やがて男は「娘はピッツバーグのウォルマートで解放する」と告げる。だが指定の店舗に駆けつけても、そこに娘の姿はない。藁にもすがる思いで娘の携帯に直接かけてみると、サラさんはすぐ電話に出て、自分は今、職場にいると答えたという。娘の無事を知ったその瞬間、彼女はようやく自分が騙されたことを悟った。

「我が子のためなら何でもする」その心理こそが標的だった
注目すべきは、デル・マストロさんが、騙されたと分かってもなお「娘を守るためなら何でもするつもりだった」と明かしている点だ。詐欺グループが突いたのは技術の隙ではなく、親なら誰もが抱く本能そのものだった。
米連邦通信委員会(FCC)は、AIを悪用したこの種の詐欺が全米で急増していると警告している。被害者がよく知る人物の声をAIで再現し、金銭や個人情報を奪う手口だ。中でも典型例とされるのが、まさに今回のような「身内の若い親族がトラブルに巻き込まれた」と思い込ませるパターンだという。SNSに投稿されたわずか数秒の音声からでも本人そっくりの声を生成できる時代になったことが、被害拡大に拍車をかけているとみられている。FCCは、送金する前にまず本人へ直接連絡を取り、本当に助けが必要なのかを確かめるよう呼びかけている。
「声」を信じられない時代に
かつて、肉親の声は何より確かな本人確認の手段だった。電話越しに泣き叫ぶ我が子の声を疑える親など、ほとんどいないだろう。詐欺グループはその信頼を逆手に取り、テクノロジーで「声の証拠」を捏造してみせた。
今回は母親が娘に直接かけ直したことで、被害は5400ドルで食い止められた。だが、もし娘が会議中や運転中で電話に出られなかったら、結末はどうなっていただろうか。AIが声を、やがては映像までも自在に作り出す時代に、私たちは何をもって「本人」だと信じればいいのか。その答えを誰もが用意しておかねばならない日は、もう目の前まで来ているのかもしれない。
参考:Daily Mail、ほか
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