【足立区500体人骨放置事件】理科室の骨格標本、昔は「人間の死体」から作られた本物だった! 学校の怪談はガチ…亜留間次郎が解説!

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【薬理凶室の怪人で医師免許持ちの超天才・亜留間次郎の世界征服のための科学】

理科室の骨格標本、アレは昔は「人間の死体」から作られた本物だった! 学校の怪談はガチだった…亜留間次郎解説!の画像1
画像は「Getty Images」より引用

 最近、学校で本物の人骨や人間の標本が発見されて話題になりましたが、その裏には標本をめぐる長い歴史と文部省の指導があります。

■骨格標本の歴史

 日本で骨格標本が本格的に製造販売されるようになったのは、明治24年に現在の島津製作所の創業者である島津源蔵が、標本の製作販売を始めたのが起源と言われています。

 明治以降、シェアを独占していたこともあり、戦前に日本で製造販売された骨格標本の大半は本物の人間を材料にした島津製作所の製品です。それ以外は医大や医学研究機関などの限られた場所のみで製造されており、その多くは自分たちで使用していました。そのため、輸入品などの例外を除けば、戦前からある学校の骨格標本は、ほぼ島津製作所の製品です。

 戦時中の昭和19年に事業を中断していますが、戦後の昭和23年に島津製作所標本部から分離独立した京都科学標本株式会社として再出発しています。しかし、昭和24年に死体解剖保存法が出来たことによって本物の人間を材料にした標本の作成が出来なくなり、昭和29年に樹脂製標本を開発、販売するようになりました。

 こうして、日本では人間の死体を材料にした骨格標本の製造販売は絶滅しました。

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