新宿のホストが体験した本当にあった心霊話 ― 体を揺らす真紅のワンピースの女(川奈まり子の実話怪談)
隣の長椅子でまだ寝息を立てているカズヤをそのままにして立ちあがると、厨房から調理係のアントニオが顔を覗かせた。アントニオはフィリピン人で、笑顔を絶やさない陽気な性格なのだが、それが、いつになく硬い表情をしている。
「ヨシキさん、起きた? カズヤさんは?」
「まだ寝てる。今何時?」
「お昼の12時。ワタシは食材を持ってきたんだよ。仕込みもやっておこうと思ったから、まだ早いけど、さっき来た。そのときお店が騒がしかった。誰かいるのかなと思って見たら……ほらワタシは裏口からキッチンに直接入るでしょう? だからこっちには来る必要がないけど、人の気配がしたから今みたいに覗いたら、女の人がいた」
「女の人? いないよ?」
「ううん。いたよ。カズヤさんが担当している女の人。名前は忘れたけど、いちばんよく来る人だよ。ほとんど毎晩来るお客さん」
「ああ。わかるよ」カズヤがえげつなく金を引っ張り出している若い風俗嬢の顔を思い浮かべて、鈴木さんは憂鬱な気分になった。
「その人がカズヤさんの上にまたがって、体を揺らしていたから、最初はセックスしてると思った。でも違った! 怖いよ!」
いつの間にか、カズヤが目を覚まして、アントニオの話に聞き耳を立てていることに鈴木さんは気づいた。
アントニオは気がついていない。心なしか青ざめて視線を店の出入口の方に走らせた。
「……ワタシが来てから、ここには誰も出入りしていない。ドアが開けば音がするはず。キッチンからは裏口が見える。あっちも閉まったままだった。でも、ほら、今、女の人はどこにもいないよね? それに、ワタシは初め、もっと大勢の人がいるのかと思った。たくさんの人たちが話しているような音がしていたから。だけどヨシキさんとカズヤさんと女の人だけだった。その女の人は消えた!」
鈴木さんは「例の赤いワンピースの女じゃないの?」とアントニオに訊ねた。
「違うよ。カズヤさんのお客さんだった。毎日来る人。……ああ、カズヤさん、起きたね。ワタシ、たぶんお客さんの幽霊を見たよ!」
カズヤは暗い目をして、「ふうん」と応えた。そして、「うちに帰る」と鈴木さんに告げた。
「ヨシキは? 帰る?」
鈴木さんはためらった挙句、「僕はいいや」とカズヤに答えた。
「掃除はやっておくよ。後でサウナに行く。カズヤは帰りなよ」
なんとなく、今は行動を共にしたくないと思ったのだった。
カズヤが行ってしまうと、アントニオが「あれは良くない幽霊だよ」と鈴木さんに言った。
「怖い顔をしていたよ。体を揺らしながら、カズヤさんを睨んでいた。カズヤさんを恨んでいるのかもしれない」
「でも、まだ死んでないだろ? 昨日だって来てたんだから」と鈴木さんは返したが、言うと同時に、さっき見た夢を思い出して、厭な予感がした。
そう。件の女性は、昨夜もカズヤに会いに来た。店を出た直後に自殺して……なんて、まさかそんなことはないだろうと思ったが、そのまさかだった。
カズヤが泣き腫らした顔で出勤してきて、あの後、警察に呼ばれて事情を聴かれたと言って、鈴木さんに告白したのだ。
カズヤの上客だった彼女は、店を後にした直後の午前4時頃、自宅マンションの屋上から飛び降りて自殺していた。
屋上に脱ぎ捨てたハイヒールと一緒に携帯電話が置かれていて、着信履歴が残っていた。最後に連絡した相手がカズヤだったため、警察に呼ばれたのだ。
鈴木さんは飛び降り自殺の夢を見たことをカズヤに話した。「あんた、わかってんでしょ!?」という台詞まで含めて。
カズヤの落ち込みようは尋常ではなく、その夜は使い物にならないので帰らされたが、鈴木さんは悪いことをしたとは思わなかった。
そしてそれから間もなく、店を辞めた。
カズヤが翌日には平気な素振りで出勤したのを見て、この仕事を続けていく自信が今度こそ本当に無くなったのである。
■川奈まり子
東京都生まれ。作家。女子美術短期大学卒業後、出版社勤務、フリーライターなどを経て31歳~35歳までAV出演。2011年長編官能小説『義母の艶香』(双葉社)で小説家デビュー、2014年ホラー短編&実話怪談集『赤い地獄』(廣済堂)で怪談作家デビュー。以降、精力的に執筆活動を続け、小説、実話怪談の著書多数。近著に『迷家奇譚』(晶文社)、『実話怪談 出没地帯』(河出書房新社)、『実話奇譚 呪情』(竹書房文庫)。日本推理作家協会会員。
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