「1964年の東京五輪は失敗だった」選手が告白! 開催の意味がなかった可能性…『アフター1964』著者インタビュー
もちろん「これは書かないでほしい」と言われたことも山ほどありました。資料の内容を確認して「その通りですよ」で終わった取材は全くなかったですね。資料とは違う話ばっかりでした。
分かりやすい例で言うと、パラリンピックに出場した近藤秀夫さんの話ですね。1964年の東京五輪では「パラリンピック」と呼ばれる大会の第1回が開かれたことになっているんですけど※、表向きにはそれがいかにすばらしかったか、いかに大変だったか、ということばかりが語られているんです。
※「Paraplegia(対まひ者)」と「Olympic」を合わせたパラリンピックという名称は1964年東京五輪から使用されるようになった。ただ、IPC設立後「パラリンピック第一回大会」は1960年のローマ五輪だとされた。
でも、実際には、これを契機に障害者の方の生活環境が改善されることはなかったんです。空港から選手村まで車椅子の選手を運ぶために作られたリフト付きのバスも、その後は1円も予算がつかずにそのまま朽ち果てていった。1964年のパラリンピックでできていたことをそのまま東京にトレースしていけば、障害者の暮らしやすいモデル都市になったかもしれないのに、それができなかったんです。
失敗とまでは言わなかったですけど、「もっとやれたんじゃないか」ということを選手の立場から話してくださったんです。実際に話をうかがってみて、資料の内容が大きく覆されましたね。
――オリンピックに関して「選手がメダルを獲った」とかそういう物語って、そこで終わっちゃいますよね。成功の瞬間で終わるから、その先のことがあまり語られていない。この本では、東京オリンピックに合わせて環境が整備されていったけれど、その後に予算がつかなくなって衰退していった競技がある、ということも書かれていましたね。
カルロス:ほとんどの競技がそうでした。例えば、いちばん最初に出てくる十種競技の鈴木章介さんも、その後に読売巨人軍のコーチになり、V9に貢献するんです。それはすごいことなんですけど、逆に言うとそれだけの人材を陸上界には残せなかったわけじゃないですか。十種競技なんていまだに日本でメダルを獲った人もいないわけですし。巨人はいい目を見たかもしれないけど、それまでに陸上界に投資されてきたものっていったい何なんだったんだろう、っていうのがぽっかり空いているわけじゃないですか。そういうのがほとんどだと思います。
サッカー業界の人は「東京五輪があり、その後のメキシコ五輪で銅メダルを獲った成功体験のせいで、その後に低迷期があった」っていうふうに言うんです。でも、ほかの競技を見てみると、サッカーはまだマシだったんじゃないかなと思います。サッカーでは1964年の東京オリンピックのときに「ちゃんと国内でリーグを作りなさい」って外国人の指導があって、リーグが作られているんですね。
でも、フェンシングでも全く同じことが言われていたのに、結局やらなかったんですよね。サッカーは低迷期が長かったんじゃないかと言われているんですけど、ほかの競技に比べればまだちゃんとやった方なんじゃないかな、と思います。
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