マジで恐ろしい「ツタンカーメンの呪い」が招いた7つの死! 病死・射殺・自殺・焼死・怪奇メモ… 今も深まる謎!
■病死、射殺、自殺、火災死…続く不審死
1923年に、ツタンカーメンの墓を訪れた裕福なアメリカ人実業家のジョージ・ジェイ・グールドは、その後すぐに具合が悪くなって数カ月後に死亡した。
同年、エジプトのアリ・カメル・ファミー・ベイ王子も、ツタンカーメンの墓を訪れた。その後、王子は6カ月前に結婚したばかりのマリー・マルグリット・ローリエントに射殺された。
アリ王子は部屋で、ローリエントと2人きりの時に近距離から3発撃たれた。その時、部屋にいたのは、ローリエントだけだったが、その後彼女は無罪となり、自由の身になったという。
また、ツタンカーメンのミイラをX線で撮影した放射線科医のアーチボルド・ダグラスリードは、撮影後すぐの1924年1月に未知の病で亡くなった。
同じく1924年、考古学者のヒュー・エブリン・ホワイトは首吊り自殺をした。彼は自分の血で書いたとされるメモを残した。それは、「私を無理やり消そうとする呪いに屈した」と書かれていた。
カーナボン伯爵と近しかったもう一人のエジプト学者アーロン・エンバーは、1926年に家の火事で亡くなった。彼には逃げるのに十分な時間があったが、執筆中の本の原稿を取りに、炎の中に戻ってしまった。その原稿は「エジプトの死者の書」という題名であった。
カーナボン伯爵の秘書リチャード・ベセルは、ツタンカーメンの墓が開かれた時、カーターに続いて2番目に墓に入った人物だった。ファラオの邪悪な力が届くのには長くかかったようで、彼は7年後に、ロンドンのクラブの個室で、窒息しているのが発見された。
しかし発掘の中心人物であったカーター自身は、その後20年近く1939年まで生き続け、ロンドンの自宅でがんで死亡した。彼は常に、呪いの噂は「たわごと」として否定していたという。
■発掘の中心人物はなぜ無事だったのか
しかし死亡した者以外にも、ツタンカーメンの墓に関わった者は、無数の災厄に見舞われている。
編集者のブルース・インガムはカーターの友人で、彼からミイラの手をプレゼントされている。そしてインガムは、そのミイラの手を文鎮として使っていた。その手には、「私の体を動かす者は呪われる」という碑文が付いたブレスレットが付いていたという。
インガムがこのプレゼントを受け取って間もなく、彼の家は火事で焼け落ち、その手も焼失した。
はたして、ツタンカーメンの墓を開いた発掘チームは、超自然的な呪いの犠牲になったのだろうか? それとも彼らは、何千年もの間、潜んでいた古代の病原体によって死んだのだろうか? 古代エジプト人は、王の墓を暴く者にどんな罰を用意していたのだろうか?
しかし最も大きい謎は、なぜ発掘チームの主要人物であったカーターだけが、ツタンカーメンの呪いを受けなかったのか、ということではないだろうか。
参考:「Daily Star」、ほか
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2024.10.02 20:00心霊マジで恐ろしい「ツタンカーメンの呪い」が招いた7つの死! 病死・射殺・自殺・焼死・怪奇メモ… 今も深まる謎!のページです。呪い、ピラミッド、古代エジプト、ツタンカーメン、不審死、三橋ココ、ファラオなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで