◾︎不審死した父の遺品と秘密、隠されていたアルバムと母親の嘘
ーー写真に撮られた緑色の箱は失踪していたお父さんの遺品が収められていたものですね。
後藤 はい。母が存命の頃にすでに兄が見つけたのですが母には見せていません。
ーー家族のアルバムは?
後藤 父が僕たち家族を撮った写真で、母の遺品を整理した時に押入れから3冊見つかったんです。物心ついた頃には小さい時の写真がなかったんですよ。母からは「あなたの写真もあったけれど、お父さんが写っていたから全部捨てた」と言われていました。
ーー嘘を付いていたんですね。
後藤 自分が死んだ後に僕たち子供が見つけられるように、母はわざと押入れに隠していたんじゃないかと思うんですよ。本心から見たくなくて子供にも見せたくないものは捨てるような気性の人なのに、50年もの間、母はアルバムを捨てなかった。「私にとっては大嫌いな夫であってもあなたたち子供にとってはお父さんなのだから、私が死んだ後で見ろ」ということだったんじゃないかと。
ーーお父さんが亡くなったことはいつ知ったのですか?
後藤 1997年、アメリカにいる時に兄から聞きました。どうしようもないという諦めがありました。そこからカンボジアに渡って、2002年頃に一度名古屋に帰った時、兄に「親父の遺品が入った箱があるんだけれど見たいか?」って訊かれて、それを持って帰りました。箱の中には死亡診断書や無縁仏として葬られたことが記された紙、入れ歯の吸着材やパスポートが入っていました。
ーー亡くなった原因は?
後藤 サウナで突然倒れたようです。それから無縁仏にお参りしたり、できることを始めました。箱はいったん持ち帰って保管していたんですけれど、受け取ってから5年後に、中に入っていた写真立ての裏蓋を外したら、名古屋テレビ塔の写真の裏側から子供の頃の僕が写った写真が出てきたんです。当時はバンコクにいて、そのことがずっと頭から離れなかった。まだ小さ過ぎて家族の問題はわからなかったけれど、母と兄は父とよくケンカをしていました。でも、父は何も言わずに次男である僕を可愛がってくれていました
ーーお父さんは急に消えたのですか?
後藤 だんだん家に帰ってこなくなったみたいです。作品をまとめるにあたって父と関わりのあった人たちに話を聞いて回ったんですよ。生前働いていた運送会社の人から「お父さんはずっと『息子と時々会ってるんだ』って言っていた」と聞いて驚きました。「嘘じゃないか」と。父方の叔父は「同僚の販売ノルマを被るためにお金を借りているうちに首が回らなくなっておかしくなった。本当はいい人なんだ」と話していました。行く先々で話を聞くなかで、少しずつ、父親の輪郭がはっきりしてきたんです。父が住んでいた場所も教えてくれたのですが、実家のすぐ近くでした。でも、すぐには行けなくて。行った時に父が住んでいた部屋の中も見たかったけれど、その時の住人が外出中で入れませんでした。
ーー失踪先が実家の近くというのが意外です。
後藤 きっと「息子と会える、見つけてくれる」っていう気持ちが父のなかにあったんじゃないでしょうか。写真展の記事が新聞に載った時、それを見た兄は「『行方不明だった』と記事には書いてあったけれど、行方不明は行方不明でも親父の場合は『見つけて欲しい行方不明』だったんだよ」と言っていました。
ーーいつ頃行方不明に?
後藤 僕が小学校5、6年生の時に帰らなくなってきて、中学1年生の時に離婚したようです。母も兄も教えてくれなくて、担任の先生から聞いたんですけれど。
ーーお兄さんはどうしてお父さんの死を知ることができたのでしょう?
後藤 検視したのが偶然うちのファミリードクターで、「この人は後藤さんのご主人だ」と気づいて兄に連絡をくれたんです。