【3.11から10年】津波で婚約者と娘を失った「見える女性」が壮絶体験を告白!! 当事者が明かす地震直後に“絶対してはいけない”行動4つ

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 東日本大震災から11日で10年を迎えたが、あの津波で婚約者と娘を亡くした女性がいる。「見える女性」の一人として過去に何度か紹介したことのある、秋田県の明菜さん(仮名)で、今回初めて大震災の時の壮絶な体験を手記としてまとめてくれた。どうすれば津波の被害を抑えることができるのか、実に示唆に富む内容となっており、彼女の体験から学ぶべきことも多いはずだ。

■あの日から10年、亡き家族と夢で会う女性

 2011年3月11日14時16分に三陸沖で発生したMw9.0の東北地方太平洋沖地震は、国内で起きた地震の正式な記録としては初となるM9クラスの地震だった。やがて「東日本大震災」と呼ばれるようになったこの地震・津波による大災害では、派生した火災なども含め、東北地方を中心に12都道県で2万2000人余の死者・行方不明者が発生した。明治時代以降の国内の地震被害としては、関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模である。

 筆者が明菜さんから初めてメールをもらったのは、2019年3月7日。大震災から8年が経とうかという時だった。明菜さんによると、大震災で悲惨な体験をした後、亡き家族が夢で未来に起きることを知らせてくるようになったという。その後、筆者のブログでも彼女の予知夢や地震前兆などに関するメールを紹介していたが、現在はご自身のブログ「明菜のブログ」を立ち上げ、夢や地震前兆などを人々に直接届けている。

 現在、テレビ各局では例年にも増して震災特別番組を組むなど、改めて震災の恐ろしさを伝える試みが行われている。今回、筆者は津波の恐ろしさを人々にしっかりと思い出してもらうために、明菜さんの体験を紹介したいと依頼したところ、快諾してくれた。

 地震発生の当日、明菜さんは当時住んでいた岩手県から実家がある秋田県まで移動していた。以下に、その手記の抜粋を紹介する。

■明菜さんの手記

 間もなく東日本大震災から10年目になりますね。今もまだあの光景はハッキリ目に焼き付いてます。あの日、私は秋田に着いて直ぐの地震でした。震源地は太平洋……大津波警報……震度7……などの目を疑いたくなる報道でした。

 

 パニックになりながら、ひたすら彼(婚約者)に電話をかけ続けました。もちろん、電話は不通……。

 

 直ぐに荷物をまとめて身内と一緒に向かいました。ただ……彼がいる地域までは車で行けず、その後は歩いて向かいました。津波の水がまだ引かない街中を、ひたすら歩きました。

 

 途中、沢山のご遺体も見ました。息を引き取る方も見ました。手や足が変な方向に向いてる方や……瓦礫が身体に刺さっている方など……。今も思い出す度に涙が出ます。

 

 私は、ただ……手を握り必死に励ますしか出来なかった。頑張って! 死なないで……って言葉しか、かけられなかった。皆が必死で……苦しんでる人が居ても、呆然と歩く人しかいませんでした。

 

 やっと避難所に着いた時には、凄く沢山の方が避難されていました。壁などにも張り紙がされていたり、メッセージが貼られたりしていましたが、私の家族はいませんでした。

 

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 沢山の避難所を周り……やっと友達に偶然会うことができました。泣きながら抱き合い……。友達は泣きながら、私に話し始めました。彼の車がある場所(のこと)でした。その時直ぐに、私は察しました。

 

 彼の車は、流された家の屋根の上に重なる形で止まっていました。何とか車まで這い上がり確認したら……亡くなっていました。

 

 体育館には沢山のご遺体……。毎日運ばれてくるご遺体ばかりでした。隣に並べられたご遺体の家族の方が、私達はまだ幸せだよ! 会えただけでも感謝だよ! って話されていました。手も足もついてるんだから!って。他の方は手が無かったり、足が無かったりしていた方もいたそうです。

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