【実録オカルト事件簿】パンデミックに霊的原因が!? コロナ禍の影に潜む「疱瘡神」の歴史… 宗教・オカルト専門家が徹底解説!

コロナ禍の影に「疱瘡神」…パンデミックの霊的原因を探る――宗教・オカルトの専門家・神ノ國ヲが繙くオカルト事件簿!

画像は「getty images」より

――新型コロナウイルス感染症に関して新たな事実が?

(神ノ國ヲ) トカナの読者諸賢ならば説明は不要でしょう。「疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)」は御存じですよね? 「疱瘡神」とは、いわゆる「天然痘」の流行を左右する神と考えられています。直近では、産経新聞が『山梨県の疱瘡神社、新型コロナで脚光 秘宝の「婆さん」ご開帳』と題して取り上げていましたね。こちらの神社では天然痘“除け”の神様として祀られているようです。少々長いですが、引用しておきましょうか。

 江戸初期、疱瘡神を祭る神社がある越前・湯尾(ゆのお)峠(今の福井県南越前町)出身で諸国を巡っていた高齢女性が塚場地区で倒れた。天然痘の跡が残るあばた顔で、「疱瘡神を祭れば、必ず疫病から逃れられる」と言い残して亡くなった。女性は疱瘡婆さんと呼ばれた。人々は湯尾峠まで行って疱瘡神の分霊を迎え、万治4(1661)年に塚場地区に疱瘡神社をつくった。神社に残る木札には「その後、村が栄えた」という記述がある。明治5年、神社を近くの牛倉神社の中に移したところ、塚場地区に赤痢が流行した。「たたり」だとして、3年後に元の場所に戻された。(「産経新聞」2020年6月10日付web版)

 「天平の疫病(735-739)」として知られるように、奈良時代、朝鮮半島「新羅」から来た、外来の流行り病は多くの人々にとって恐怖の対象でした。諸説ありますが、当時の日本の総人口20~30%が天然痘に感染して死んだとも言われます。従って、これをいかに「鎮め、祀り、奉るか」が人々の重要な関心事でした。つまり、これ以後、伝染病・感染症の拡大を左右する神とみなされたのが「疱瘡神」なのです。有名な話ですが、明治8年(1875年)の『日新真事誌』には疱瘡神の目撃談が掲載されています。

月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「為朝の武威痘鬼神を退く図」。画像は「Wikipedia」より

 また明治40年(1907年)には東京の中村啓次という人物が、奇妙な事実を報告しています。中村によれば、彼は生後3か月過ぎで天然痘にかかり死にかけたことがあったそうです。方々手を尽くしても我が子を治療できない母親は、あまりの哀しみから疫神を名指して空に向かって怒鳴りつけ、足元にあったオモチャの達磨を蹴飛ばした。直後、突然眠気に襲われて、なぜか泣き止んで黙った赤子の彼とともに眠りに落ちた。

 すると、ズルッ…ズルッッ…と何かが這ってくる音がする。母親が気付いて目を向けると、醜怪な「疱瘡神」の毛むくじゃらの腕が背後より現れて、赤子の中村を奪って去ろうとした。発狂した母親は、思わずその「疱瘡神」に噛みついた。母親の意外な行動に驚いたのか、疱瘡神は逃げ出した。そして親族がやってきて「憎い疫神、逃しはせぬ!」と家中で太刀を振り回しては叫んだ。そのせいか、以後「疱瘡神」は現れず、中村は次第に回復し、成人できたというのです。

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