罪悪感は生きる手応え? 精神科医・春日武彦が自らの「罪悪感と人生の関係」を分析して見えてきたもの

 結婚してしばらくしてから、突然、父はメスを捨てます。簡単な筈の手術だったのに、いざ開腹してみたら癒着やら何やらで手が付けられなかった。患者が亡くなったのかどうかは知りませんが、父の全能感が一気に否定されたらしい。そこですっぱりと外科医を辞めるというのもどことなく自分に酔っている気配がありますが、とにかく臨床を離れ、保健所長を勤めたり、厚生省(当時の名称)で技官となったりして最後は大学の医学部で公衆衛生を教えてキャリアを終えます。そのあとでアルツハイマーになって死にました。ずっと外科医をやってくれていたら、生活は裕福だったでしょうし、わたしは台所の流しで百円札ではなく五千円札を燃やしていたかもしれません。

 自分としては、父との縁はさして濃くなかった気がするのです。だが、記憶を辿ってみると、影響力という点では母と負けず劣らずだったのかもしれないという気がしてきます。そうした実例を挙げていってもキリがないのですが、たとえば一枚の写真の件などが即座に頭に浮かびます。

 埼玉県の保健所に父がいた頃は、どこそこの村で赤痢が発生したとか、あそこの小学校ではトラコーマが集団発生したとか、結核だ梅毒だと感染症対応が保健所業務の目玉だった印象があります。そうしたものが流行ると父は部下を率いて現場に駆けつけ、それはそれで生き生きとした仕事ぶりだったようです。幼いわたしはしょっちゅう保健所へ一人で遊びに行き、寄生虫の標本だとか爛れた眼瞼結膜のカラー図譜、人体解剖模型などを眺めるのが常でした。衛生博覧会に毎日通っていたようなものです。見学を終えると所長室のソファで菓子パンを食べて帰りました。父は部屋にいたりいなかったり、いろいろでした。

 時折、デスクに書類と一緒に写真が散らばっていました。当時ですからモノクロですね。事案やトラブルに伴う現場写真みたいなものですから、かなりとんでもないものがある。父はまったく無造作にそれをデスクに置いていました。わたしはそれを盗み見ては、息を呑んでいました。伝染病の発端となった家の汚らしい汲み取り便所とか、象皮病みたいに足が腫れた婦人とか、野犬に喰い殺された子どもの遺体とか。エロよりも前にわたしはグロの洗礼をたっぷり受けたようで、そのあたりが当方の精神を歪ませている可能性は高そうです。もちろん父を恨むような話ではなく、むしろグロのエリート教育をしてくれて感謝したいくらいですが。

 そうしたろくでもない写真の一枚が、かなり当方の内面形成において決定的な影響を及ぼした気がします。それは農家の裏庭に作られた手作りの「檻」でした。雑木に寄り添うように作られている。その中に裸の子どもが四つん這いになっている(ろくに身動きできないほど小さな檻でした)。光の加減で表情ははっきりしません。床には汚い皿が置かれ、どうやら海老フライとしか思えないものが一本だけぽつんと載せてある。陰惨な光景であるにもかかわらず、海老フライだけが不思議な日常性を発散させているのですね。もちろん箸やフォークなどはなく、手掴みで食べるのでしょう。これには衝撃を受けました。檻の中の子どもという事実そのものよりも、むしろ海老フライという存在の微妙な場違いさに衝撃を受けたのです。

 この写真に関してだけは、父が説明をしてくれたと記憶しています。子どもは精神遅滞で、親は虐待をする気はなかったが持て余し、いつしか動物みたいに檻に入れるようになった云々。近隣の人たちは檻のことを知っていたが、あえて見て見ぬ振りをしていた。海老フライは親なりの愛情というか心づくしだったらしいのですが(あるいは罪滅ぼし?)、檻とのギャップがあまりにも鮮烈で眩暈がしそうでした。この写真を見て檻の中の子どもに同情したとか、親に対して義憤を感じるなんてことはまったくありませんでした。世の中には檻と海老フライのように、何だか途轍もない衝撃を与える組み合わせというものがあり得るのだなと実感しただけです。

 児童虐待の事例だったのでしょうが、今までの人生で目にした最も不快な、あるいは「いかがわしい」写真がそれでした。

 父について気になることがひとつあります。何年か前に、たまたま作家の林芙美子(1903~1951)の短篇を読んでその荒々しい力強さと妙にこちらの情感を捉える筆致に惹かれたことがありました。森光子が主演する超ロングラン舞台劇『放浪記』の原作者程度の認識しかなかったので、予想以上のクオリティーだったのです。さてそのとき、母が生前に言っていたことが思い出されました。父は林芙美子と親交があり、彼をモデルにした医師が登場する作品があるというのです。おそらく外科医だった頃に、医者と患者の形で接点が生じ、そのあと多少の交流があったらしい。そのときに作品名を尋ねておけばよかったのに、林芙美子にまったく関心がなかったので、わたしは「ふうん」で終えてしまったのです。

林芙美子。画像は「Wikipedia」より引用

 彼女がどんなふうに父を描いたか、いやイメージを用いたのかが気になってきました。しかし作品数は膨大です。有名でない短篇だったりしたら、探し当てるのは容易ではない。何しろ没年に出た新潮社版の全集は23巻もあるのですから。そこであっさりと探査は諦めてしまいしたが、もしこれが父でなくて母であったらどうか。母がモデルになって登場していたとしたら、おそらく徹底的に全集を調べたに違いないと思うのです。女装から母の面影を見出す人もいれば、古い小説の中に面影を探し当てようとする者もいる、というわけですね。

 しかし母を全集の中から見つけ出そうとする情熱に比べて、父に対する執着のなさはどうでしょう。そこに自ら気付いたとき、さすがにわたしは父にささやかな罪悪感を覚えたものでした。

文=春日武彦

1951年京都府生まれ。一人っ子。喘息持ち。甲殻類恐怖症。日本医科大学卒。産婦人科医として6年勤務するも、障害児を産んだ母親のフォローを契機に精神科医に
転向。都立精神保健福祉センター、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長、多摩中央病院院長などを経て、現在も臨床に携わるいっぽう、講演や研修講師なども数多く勤める。著書には、『不幸になりたがる人たち』(文春新書)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『老いへの不安』(中公文庫)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『私家版精神医学事典』(河出書房新社)、『猫と偶然』(作品社)、『援助者必携・はじめての精神科(第3版)』(医学書院)等多数。


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