「神の怒り」で自然災害は起きる!? 祭りを観光化、人身御供を止めたら1100人以上が死亡… インドネシアの怖すぎる実例を解説!
■スカルノの不遇な最期
噴火が収まった翌年の1965年9月30日、インドネシアで「9月30日事件」と呼ばれるクーデターが発生した。これは、スカルノ大統領の経済政策の失敗による国内の混乱と、軍と共産党の権力闘争という背景のもとで左派系軍人たちによって引き起こされたものだが、スハルト将軍のもとで鎮圧され、クーデターは未遂に終わった。だが、この事件で国民の支持と求心力を失ったスカルノは、スハルトに大統領の座を譲らざるを得なくなり、1968年3月に第2代スハルト大統領が誕生した。
そしてスカルノはスハルト政権のもとで事実上の軟禁状態におかれ、第三夫人だったラトナ・サリ・デヴィ(デヴィ夫人)など多くの家族が国外に政治亡命。その後、1970年6月21日に69歳で失意と孤独のうちに亡くなっている。死因ははっきりしていないが、腎臓の病気だったといわれる。
■神の怒りか?
アグン山噴火のため中断された「エカ・ダサ・ルードラ」は、その後1979年3月28日に改めて執り行われたが、再開の際にはスカルノではなく第2代スハルト大統領が出席して執り行われたことは、運命の皮肉だった。このようなスカルノの不遇な晩年も、アグン山の神の怒りだったのか?
筆者は1994年から1年半ほど、インドネシア・ジャワ島にSEとして派遣され、東部のマディユンという町で働いていたことがある。その後、インドネシアに魅せられて、バリ島にも頻繁に足を運ぶようになり、現地の伝統音楽であるガムラン音楽を習ったりもした。
そのころ、ブサキ寺院でオダラン(祭)があった時のことだ。僧侶たちが祭の間に雨が降らないようにと祈祷するのだが、結果的にその寺の周囲だけ雨が降らず、その外側では雨が降っているのを、この目で確かに見たことがある。他にもバリ島の祭では、少女の踊り子たちが神霊に憑依されてトランス状態となり、バタバタ倒れていく光景も見ている。このようなことはバリ島では日常茶飯であり、誰も不思議だとは思わない。
そのような背景もあるため、「エカ・ダサ・ルードラ」の一連の出来事もやはり神の怒りの結果だったのではないかと思えてくるのだ。
参考:「THE CONVERSATION」、「VOI」、ほか
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