タリバン以前のアフガニスタンの穏やかな日常 ― 暴力で失われた美しき独自文化
米軍撤退、カブール陥落、タリバンの復権――21世紀アフガニスタンの行方を国際社会が注視する中、反政府武装勢力から一転、主権者となった「タリバン」は女性の人権を守ると強調。しかし、その裏ではデモ隊への躊躇ない発砲があった等の情報も囁かれている。
1970年代、東西冷戦時代からアフガニスタンでは断続的に紛争が繰り返されてきた。今やベトナム戦争よりも長くなったアフガニスタンでの有事だが、2001年の同時多発テロ「9.11」に起因することは周知の通りだ。少し経緯を確認しておきたい。
2001年10月、米軍がアフガニスタンへの空爆を開始した。同年12月にはタリバン政権が崩壊。2005年前後になると自爆テロ等でタリバンは再び勢力を拡大するも、2011年5月、国際テロ組織アルカイダのビンラディン容疑者が殺害された。その後、2014年のオバマ政権下において「米軍撤退」が発表されるも延期となり、2017年のトランプ政権下では空爆再開。2018年には和平協議が開始され、翌2019年には基本合意がなされていた。
しかし、現在は周知の通り、タリバン政権が復興し、今後は再び宗教的圧制が敷かれるとの見方が強まっている。このように悲惨な戦場となる前のアフガニスタンは、一体どのような国だったのか? 以下、タリバン以前のアフガニスタンを偲ぶ2016年12月の記事を再掲する。
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最近では「アフガニスタン」と聞くと、直ちにテロリストの蛮行をイメージする人が大多数ではないだろうか。しかし1969年以前のアフガニスタンは今日、私たちがイメージする国とは全く異なる場所であったのだ。
1969年と1974年、フランス人のポメリー氏はアフガニスタンをヒッチハイクで旅行した。そこには魅惑的な風景と旅行者に親切で心豊かな人々が住んでいたと彼は言う。
■1969年:初めてのアフガニスタン
1969年のアフガニスタン旅行でポメリー氏は、当時あまり外国人が足を踏み入れたことのないアフガニスタン東部のヌーリスターン州(Nuristan)を旅した。
ポメリー氏は「Daily Mail」紙にアフガニスタン訪問のきっかけをこう語っている。彼の友人が1965年にアフガニスタンのヌーリスターンを旅した。ヌーリスターンは当時、特別入境許可が必要で旅行するのに容易な場所では無かった。
しかし、その友人からそこがいかに美しいかを聞いたのがきっかけで、日頃から冒険を求めていた彼は自分もヌーリスターンに行くことを決めたという。彼は1969年7月にヒッチハイクでフランスを発った。しかし旅の終盤に差し掛かった頃に遭遇した谷では車は使えず、自分の足で進むしかない過酷なものになった。
標高1380メートルに建てられた木の小屋に住むヌーリスターンの人々はアレクサンダー大王の子孫で、そこにはブロンドの髪と青い目を持つ者がいると言い伝えられてきた。困難な旅であったが、それはポメリー氏をひるませるものではなかった。「ヌーリスターンは過酷な山岳地帯で危険だと言われていましたが、実際は全く違っていました。人々は非常に親切でした」と彼は語る。
旅の途中でポメリー氏は別のフランス人と合流し、ワーイガル(Waigal)村に一緒に到着した。「村長は私たちを歓迎し、旅行者のために用意された私たちを泊まらせてくれました。私たちは意思疎通が出来なかったので、メモ帳に絵を描いて言いたいことを伝えようとしました」と話す。
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2024.10.02 20:00心霊タリバン以前のアフガニスタンの穏やかな日常 ― 暴力で失われた美しき独自文化のページです。戦争、テロ、アフガニスタン、都市、三橋ココ、タリバンなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで