爆心地の地獄がありありと蘇る…! 封印されていた長崎原爆投下直後の記録写真が公開される
今年はアメリカ大統領が戦後初めて公式に広島を訪問するという、日本現代史に刻まれる出来事が起きた年となった。しかし、もちろんもうひとつの被爆地、長崎も忘れてはならない。先日、これまで世に公開されることのなかった、被爆地の模様を収めた写真の数々が71年の時を経て日の目を見ることになったのだ。
■被爆直後の長崎を激写した男
広島への原爆投下の3日後、1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、長崎県・長崎市に原子爆弾が投下された。その12時間後、命令を受けて駆けつけた日本軍属のカメラマン山端庸介(やまはた ようすけ)氏は、被爆地の凄惨を極める光景を熱心にカメラに収めた。山端カメラマンに命じられた任務は、現地の悲惨さを物語る写真を報道機関への配布用になるべく多く撮影することであった。
被爆地を訪れ、さっそく精力的にシャッターを切る山端カメラマンだったが、目の前に広がる信じられない光景に圧倒されるばかりであったという。爆発と爆風の凄まじい威力に建物はことごとく吹き飛ばされ、ガレキに覆われた真っ平らの大地には、真っ黒焦げの遺体や、瀕死の体で逃げようとする被爆者の姿があった。
撮影の後、写真は急いで現像され一部が新聞に掲載されたが、日本の無条件降伏後にはGHQによる情報統制が敷かれたため、大部分が没収されたということだ。1952年にGHQの規制が解かれると、没収を免れた写真の数々が編纂されて写真集『記録写真 原爆の長崎』が出版され、同じく同年にアメリカの雑誌『LIFE』でも特集された。
さらに1962年8月20日の『週刊読売』でも特集されたのだが、記事では山端氏が自ら写真を解説した言葉が綴られている。
「被爆地の全体の景観を見ようと、私は小さな丘に登った。焼き尽くされた街は小さな鬼火のようなものが点在し、空は青く星に満ちていた。それは奇妙なほど美しい光景だった。引き返そうとしたとき、もう死にかけている人の声が聞こえた。『水をくれ! お願いだ!』」
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