実際に起こった「ミステリアスな失踪事件5選」! 飛行機から消失、マフィアの関与、FBIも捜査を断念した怪事件
ある日突然、愛する人や身近な人が忽然といなくなってしまったことを想像してみると途方に暮れるしかないだろう。なぜ、どのようにして姿を消し、今もどこかで生きているのか――。1世紀に及ぶ未解決の失踪事件のうち、最もミステリアスな5つの事件がある。
マレーシア航空370便
2014年3月8日、マレーシア航空370便に搭乗していた200人以上が空中で行方不明になった。複数の国籍の乗客と乗務員を巻き込み、少なくとも3年間にわたる空と海による念入りな捜索が行われたが、航空機と239人の遺体は行方不明のままだ。また旅客機が突然飛行ルートを外れた原因も不明である。
同日、北京行きのボーイング777型機が予定どおりマレーシアのクアラルンプールから12人のクルーと227人の乗客を乗せて出発した。しかし航空管制システム間の定期的な連絡の直後に機体は行方不明となった。当局者によると、航空機は予定された目的地に向かう代わりに、マレーシア半島を横断して南インド洋に向かったといわれている。
2018年夏の記者会見で、事件に関する最新の安全性調査報告書が発表された後、主任調査官のコク・スー・チョン氏は、原因を確認または除外することはできないと述べた。
「チームが利用できる証拠が大幅に不足しているため、航空機が方向転換した理由を確実に判断することはできません」とチョン氏は説明する。
ある時点で航空機システムは手動でオフにされたのだが、同便のパイロットが悪意を持って通信を遮断したことを示す兆候は見られなかったという。また第三者が違法に干渉した可能性も残されてはいるのだが、その目的が何であったのかについての説明が成り立ちそうにもないことが指摘されている。
「誰が無報酬でそれをするでしょうか?」(チョン氏)
D.B.クーパー
FBIの記録によると、1971年11月24日、D.B.クーパーはオレゴン州ポートランドの空港カウンターで、ノースウェストオリエント航空305便の片道航空券を購入して機内に乗り込んだ。
飛行機が離陸して間もなく、クーパーは客室乗務員の1人にブリーフケースに爆弾が入っているというメモを手渡して脅迫し、4つのパラシュートとすべて20ドル札で20万ドルの現金を要求した。
シアトル・タコマ空港に着陸してパシュートと現金を受け取ると、搭乗していた36人の乗客が解放された。操縦士をはじめ何人かのクルーを機内に残したクーパーは彼らにメキシコシティに飛ぶように命じた。
メキシコシティに向けて飛び立った旅客機だったが、飛行が安定したところでパラシュートを装着したクーパーは機体の後部から飛び降りたのだった。それ以降、クーパーの姿を見た者は誰もいないまま現在に至っている。
FBIの記録によると、この時のクーパーはトレンチコートを身に纏い、足にはローファーを履いていて、高度1500メートルの雨模様の空を時速320キロで飛行中の飛行機から飛び降りたということだ。
2016年、FBIは本事件を積極的に調査しないことを発表し、世紀の未解決失踪事件は迷宮入りとなった。
ジミー・ホッファ
1975年に労働組合の指導者、ジミー・ホッファがシガン州デトロイトで行方不明になった。何十年もの間、彼の失踪は広く世間の関心を呼び起こし、多くのハリウッド映画の題材にもなっている。しかし、半世紀近く経った今でもホッファの失踪について何の手掛かりもつかめていない。
ホッファは若い頃から倉庫作業員や貨物運転手として働く傍らで組合活動に積極的に参加し、1957年に全米トラック運転手組合「チームスターズ」の委員長に登り詰めた。この時には数多くの北米マフィアの後押しがあったといわれている。
1964年7月、ホッファはチームスターズ年金の不正運用、陪審員買収、賄賂などで有罪となり最終的に懲役13年刑が確定し、1967年3月7日にペンシルベニア州ルイスバーグの連邦刑務所に収監された。
リチャード・ニクソン大統領の時代の1971年半ばに、司法取引に応じたホッファは減刑されて同年12月に出所した。
自由の身になったホッファだったが、1975年7月30日昼の2時頃、マフィア幹部に会いにミシガン州デトロイト近郊のレストランへ向かったところ、そのまま消息を絶ち、戻ってくることはなかった。
警察の捜査も虚しく、何の手掛かりも得られずに1982年に正式にホッファの死亡が宣言されることになる。
関係者の多くはホッファは殺害されたと考えており、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ主演のNetflix映画『アイリッシュマン』ではホッファは殺されており、マフィアの殺し屋が関与した可能性が描かれている。
アメリア・イアハート
1932年に女性として初めて大西洋単独横断飛行に成功したパイロット、アメリア・イアハートは1937年5月21日に赤道上世界一周飛行に挑むべく、ナビゲーターのフレッド・ヌーナンと共にカリフォルニア州のオークランドを飛び立った。
6月30日にニューギニアのラエまで到着し、そこから太平洋の離島であるハウランド島に向けて出発した。
3万5000キロ以上を飛行し、全行程のほぼ3分の2を完了した後、燃料が危険なほど少なくなり、1937年7月2日、2人は太平洋のどこかで行方不明となった。救助隊が約2週間にわたって2人を探したが、イアハートとヌーナンは見つからなかった。
1939年、2人の行方について何の手掛かりも得られないまま、イアハートは裁判所命令によって公式に死亡を宣告されたのである。
ローレン・スピアラー
2011年6月3日、インディアナ大学の女子学生、ローレン・スピアラー(当時20歳)は繁華街での仲間との飲み会の後、午前4時30分頃にキャンパス近くを一人で歩いているのが最後に目撃された後、行方がわからなくなった。
当局による念入りな捜索にもかかわらずスピアラーの行方は杳としてつかめず、若い魅力的な女性の行方不明事件であるだけにメディアやSNSで大きな話題となった。
スピアラーの家族に雇われた私立探偵のマイケル・シラボロは、多くの障害の中には、地元の警察署と、スピアラー氏が失踪した日とほとんどの時間を過ごした若い男性グループからの協力の欠如があると話している。
ローレンの両親はラクロスをプレーし、バレンタインデーを祝うのが好きだったという娘の姿をもう一度見たいと今も願っている。はたして10年以上が過ぎたこの失踪事件に今後新たな光が当たることがあるのだろうか。
参考:「TIME」ほか
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2024.10.02 20:00心霊実際に起こった「ミステリアスな失踪事件5選」! 飛行機から消失、マフィアの関与、FBIも捜査を断念した怪事件のページです。殺人、失踪、行方不明、未解決事件などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで