藤井風が私淑する聖者サイババはどんな人物だったのか? 回顧録―私が実際に見たサイババ
シンガーソングライターの藤井風(25)の歌詞や歌の題名に、サイババの言葉がちりばめられているとして宗教二世らから“ステルス布教”ではないかという批判の声が上がっている。藤井の実家にはサイババの写真が飾られていたことも明らかになっており、彼がサイババに私淑していることは暗黙の了解だったようだ。もはや古色蒼然たる印象の聖者サイババだが、彼は一体どのような人物だったのか。以下、サイババと会うためインド・バンガロールを訪れた経験を持つ山田高明氏の回顧録を再掲する。
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※ こちらの記事は2015年5月16日の記事を再掲しています。
私がサイババを知ったキッカケは『ムー』が86年に出版した『世界ミステリー人物大事典』という別冊である。サイババは巻頭カラーページで取り上げられていたのだが、私の第一印象は聖者というより「アフロヘアの陽気そうなオジさん」であり、しかも「インド≒うさんくさい」という偏見も手伝って、その時は歯牙にもかけなかった。そういうわけで、私がサイババに“目覚める”には94年まで待たねばならなかった。
周知の通り、この頃、理化学博士である青山圭秀氏が著作で取り上げたことが契機となり、サイババが突然日本で“ブレイク”する。『理性のゆらぎ』や『アガスティアの葉』といった青山氏の一連の著作はミリオンセラーとなり、当時ちょっとしたサイババブームを巻き起こした。
テレビ局も何本かの特番を組み、中には「サイババのトリックを暴く」という趣旨のものもあった。実際、誰であれ指輪やビブーティ(神聖灰)などを思うままに物質化できるとすれば、世間の好奇の目は免れない。その際のサイババの「怪しい手の動き」はユーチューブでも見ることができる。
もっとも、当時のマスコミや識者は奇跡現象の真贋論争に傾斜しすぎた嫌いがあるようだ。やれ手品だ、トリックだと指弾するのも結構だが、物事はやはり全体像を俯瞰しなければならない。結果、今に至るまでサイババの本質ともいえるある重要な面が日本で見過ごされている気がする。
さて、青山氏は現在も日本のスピリチュアル界を牽引する人物と目されている。彼の著作は当然ながら私にも大きな印象を残した。そして、「実際にサイババに会ってみたい、奇跡と呼ばれるものが実在するならこの目で確かめてみたい」という気持ちが募っていったのである。ただし、諸事情から延期が続き、結局、まとまった時間が取れたのは1999年の暮れだった。まさに千年紀を彼の地において跨ごうという趣向である。
そういうわけで、さるサイババ・ツアーに参加した。もっとも、それはツアーといっても、往復の交通の面倒だけ見るというもので、約1週間の滞在中は基本自由行動だった。悪くいえばほったらかしであるが、私にはむしろそれが性に合っていた。
サイババの本拠地・バンガロールへ
サイババの本拠地は、現在はIT産業で有名な南インドのバンガロール郊外、プッタパルティ村にあった。ここは彼の生誕地でもある。村といっても、世界中から信者たちが“聖地巡礼”に訪れるおかげで、ちょっとした宗教城下町の規模へと変容していた。
赤茶けた荒野の中に、サイババのアーシュラム(修行場)や病院などがデンとそびえている。私が泊まったのは、アーシュラムの端っこにある外国人用の共同宿舎だ。滞在中はパジャマクルタと呼ばれる、ゆったりとした白い上下を着て、しばしばインド人のように裸足で歩き回った。日本では真冬だったが、赤道に近い南インドは常夏だ。日差しの下で味わう100%のマンゴージュースは格別だった。
食事は施設内にある外国人向けの食堂でとった。メニューはインド風のベジタリアン料理で、とにかくおいしい。豆と野菜を煮込んだものが主体だが、肉と魚を一切使わずにどう調理したらこれだけ食べ応えのある料理になるのか、今もって不思議なくらいだ。しかも、健康に配慮してか、塩もスパイスも抑えてある。甘いお菓子もふんだんに用意されていた。しかも、(インド人からするとそうではないのかもしれないが)格安ときていた。
滞在中、信者としての一日のスケジュールは「宗教的な儀式への参加」がメインとなる。それが行われるのが、アーシュラムの中心部にあるマンディール(神殿)と呼ばれる巨大ホールだ。屋根からは豪奢なシャンデリアがぶら下がり、床には大理石のタイルが敷き詰められている。何千人もが一同に会することができるほど広い。ただし、男女の席は別けられている。ここでバジャン(神への賛歌)が、午前と午後にはダルシャン(サイババが人々を祝福する儀式)が行われる。ただ、それに参加するか否かは個人の自由である。
施設には運営に関わるセバダルと呼ばれる奉仕の仕事をする人たちがいるが、一般の信者には仕事もなく、義務もなく、寄付の強要もない。つまり、アーシュラム(修行場)といったところで、日本の禅堂とは真逆で、何かを強制されることは一切ない。だから、スケジュールといっても、あって無きがごとしで、すべては本人次第である。
ただし、禁止事項はあり「飲酒・喫煙の類い、騒ぐ、政治的な主張をする」といった行為は許されない。男女同席も好ましく思われないようだ。また、私が宿舎から勝手に近くの丘に登ろうとしたら、「日本の友達よ、ゴブラが出るからやめなさい」と、穏やかな調子で注意された。それ以外では、いつ起きようが、食べようが、施設の外に出ようが、儀式に参加しようがしまいが、完全に自由なのだ。
夢に現れるサイババ
こうして、私はとくに信者というほどでもなかったが、バジャンでは周囲に合わせて歌う真似事をし、ダルシャンでは遠くにいるサイババに手を合わせた。
アーシュラムには世界中から人が集まっていた。私が泊まった外国人用宿舎はさながらミニ国連の様相を呈していた。私の布団の周りには、ドイツ人、アメリカ人、ロシア人、アルゼンチン人、オーストラリア人などがおり、誰とも一瞬で打ち解けた。
中には、いつ見ても蝋燭を灯して一心不乱にサイババに祈っている若者もいた。たまたま祈る前の彼をみつけて話しかけてみると、ドイツ人の若者だった。彼が話すところによると「高校生の頃、オレンジ色のローブをまとったアフロヘアの男が繰り返し夢の中に現れるようになった」という。といっても、当初は誰か分からなかった。何者かと思って調べ始めて、ようやくそれがサイババなる人物であることを知ったそうだ。
興味深いことに、私はこれとまったく同じ話を耳にしていた。ただし、私の友人の知人(日本人)のケースである。つまり、サイババが話題になった際に、私の友人が「こんな知り合いがいる」と言って教えてくれたのだ。その人もやはり、それまでにサイババについて見たことも聞いたこともなかったという。結局、熱心な帰依者になったそうだ。
私はこの宿舎で西暦2000年を迎えた。深夜だったが、何人かの人たちと「ハッピー・ニュー・ミレニアム!」と言いあった。感慨深かった。お互い知らない者同士だが、同じ“信仰”を持つせいか、宿舎の中は一体感に満ちていた。いや、アーシュラム全体が独特の清浄な雰囲気に包まれていた。
我ながら気恥ずかしい言葉だが、今もってここほど愛と世界平和の存在していた場所を私は知らない。ここでの暮らしは完全に極楽モードだった。中には一年以上も滞在しているというイギリス人がいたが、私もできるものならそうしてみたいと本気で思ったくらいである。
サイババとの接近遭遇
期間中、サイババに個人的にインタビューに呼ばれることはかなわなかったが、私などよりも遥かにふさわしく、救いの必要な人は、ごまんといよう。そのかわり、サイババが登場して決められたコースを練り歩くダルシャンでは、クジ運が良かったおかげで、最前列に座ることができた。精妙なBGMが始まり、サイババが登場した。おおっ、とざわめいた。
サイババがこちらの位置に近づくにつれ、周囲の人々が身を乗り出し始めた。中にはザリガニのように床に這いつくばって足に触れようとする人もいる。私も胸のところで手を合わせ、膝立ちになった。サイババと目と目が合った。いや、というより、数メートル手前から明らかに私の顔をじっと見つめている。糸井重里氏によると、サイババは不機嫌でかつ「不気味な深海魚」のような顔だったらしいが、眼前にいる人物はどう見ても小さな孫を見つめる祖父のような柔和な表情をしていた。理由は分からないが、やけに眼差しが温かいというか、慈愛に満ちている。しかも、満面の笑みだった。むろん、私の主観にすぎない。サイババのほうは単に私の顔が面白かったのかもしれない。あるいは、「カモがはるばるよう来たのう」と思って、ほくそ笑んでいたのかもしれない。
近くで見て初めて気づいたのだが、サイババは明らかに身長150センチ代の小男だった。あの凄まじいアフロヘアと貫禄で大きく見えてしまうらしい。サイババが微笑みながら、私の真ん前に差し掛かった。這いつくばれば足に手が届く距離だ。今にして思えば、私は物凄い悪人なのだろう。突然、「今サイババに飛びかかったら、どうなるだろうか?」という不埒な考えというか、ほとんど衝動が起こった。というのも、もし本当に神なら、私が飛びかかった際に、なんらかの見えない力で跳ね返されるか、あるいは体が痺れて動けなくなるといった“奇跡”が体験できるに違いないと考えたからだ。我ながら馬鹿としか言いようがないが、結果的になんとか衝動を抑え、事なきを得たのだが――。
2011年4月、インドのサイババが亡くなった。今にして思えば、彼ほど毀誉褒貶の多い宗教指導者も珍しかったと言える。ところで、そのサイババが実は2001年9月11日に起きた同時多発テロを予言していたかもしれないと言ったら、みなさんは驚かれるであろうか。といっても、ソースはあくまで私のプライベートな体験である。しかも、録音やビデオなどの機械的な記録もない。つまり、客観的な証拠が何もないわけで、さすがにこの状態で信用してくれと強弁するのは無理がある。よって、私にできることは、あくまで経験したことを淡々と話すだけだ。ありのままの話を信じるか信じないかは読者のご自由だ。私としては「話に偽りはない」と誓う以上のことはできない。
9.11を予言していた!?
さて、予言の話である。それはツアーの後半でのことだった。(※ツアー前半に関してはコチラを参照)午後のダルシャンのあと、夕食の前だったか、後だったかは今となっては定かではないが、私は何気なしにアーシュラムの広場に向かった。そこは公立学校の運動場ほどの広さで、夕焼けの下、暇をもてあましているらしい西洋人を中心にして、人々がお喋りに興じたり、輪になってバジャンを唱和したりしていた。中にはギターを持って歌っているヒッピー風の男もいた。
私は人々の中に十数名くらいの同郷らしきグループがいるのを発見し、興味をもって近づいた。日本語が聞こえてきた。やはり日本人の集団だった。私は誰かに話しかけてみようと思った。すると、ほぼ時を同じくして、50代とおぼしき紳士風の男性がグループの前に現れた。彼には見覚えがあった。バンガロール空港だったと思うが、ふいに現れて両手を合わせ、「こんにちわ」と私に挨拶してきた人だった。上半身パジャマクルタ姿のうえ、教団のマフラーまでしていて、すでに信者モードである。その場で少し立ち話したところによると、同じ日本人を見かけたので声を掛けたということだった。
仮にA氏としておこう。彼は片手に文書を持っていた。そして「みなさん」と、グループに向かって呼びかけた。すると、彼を中心にした輪が自然と形成された。A氏がもともとそのグループのリーダーだったのか、いちメンバーなのか、あるいはたまたま日本人の一団を見つけて近づいたのかは、今もって分からない。いずれにせよ、誰かに話しかけようと思った瞬間、私はその年配の紳士に機先を制される格好になった。そして意図せざることに、まるで元からメンバーであるかのように、図々しくその内輪の会合に加わることになってしまったのである。
A氏がとある文書を掲げた。そして、「新しい世紀(もしくは千年紀)を迎えたのを機にババ様が近い将来に人類に起きる出来事を予言された」という意味のことを語り始めた。
「これはババ様の側近の方から回ってきた情報だから、ババ様ご本人の予言である確度は非常に高い」
A氏が断言した。たちまち、場の空気が期待と緊張の入り混じったものへと一変した。私は胸が高鳴るのを感じた。思いも寄らない形で「サイババ予言」に接する機会が得られたのだ。しかも、まったくの偶然に。これを神の恩寵といわずして何と呼ぼうか。
A氏がその情報をどうやって入手したのかは定かではないが、おそらく組織の上層部に何らかのコネがあるのだろう。その英語の原文を彼が日本語に訳して、わざわざこの場で発表してくれるということだった。A氏が文書を読み上げ始めた。私はまったくの部外者であるにもかかわらず、さもメンバー然とした表情で、それを拝聴した。
【サイババの予言】
・世界は統一される
まずは喜ばしい話題からだった。それは「世界の統一は一般に想像されているよりもはるかに早い」という内容だった。たしか「数十年で」という具体的な数値が出てきたような気がする。しかも、話をうかがう限り、それは超国家的な独裁や政治的な制度が主導するものではなく、人々が互いの違いを乗り越えて同胞と見なすようになるといった、意識や精神面が先行する形で成される意味での“統一”であるらしかった。
この、あまりに理想的すぎる予言に対して、当時の私は今ひとつピントが合わなかった。しかし、この15年間におけるインターネットとグローバル経済の急速な進展をリアルタイムで目撃してきた現代人の一人として、今ではほとんど納得することができる。わずかな期間で、情報と経済の面で世界がフラットになった。今や双方向どころか、大衆が大衆に向けて自由に情報を発信し自在にコミュニケートできるようになった。経済のグローバル化は先進国の中間層に打撃を与えたが、一方でその何倍もの途上国の貧困層が中間層入りする手助けをし、世界的に見れば富の平準化の役割を果たした。今や世界中のライフスタイルが驚くほど同質化している。英語圏では国境を越えて住み易いと思った都市へと自由に移住する人たちも急増中だ。ちょうど、それまで藩が“クニ”だった日本人が、幕末から明治にかけて一つの国民という意識を持つように至ったように、世界中の人々が同じ人類として目覚める日も、案外近いのかもしれない。
・航空機を使ったテロの急増「アメリカ人は飛行機に乗るときに気をつけろ」
ただ、あらゆる喜ばしい成果がそうであるように、そこへ至るまでには困難が付きまとうものらしい。A氏が読み上げるところによると、そのプロセスにおいてあらゆる問題や対立が噴出するが、とりわけテロの急増で世界中が騒然とするという。
そう、たしかに「テロ」と言ったのだ。しかし、当時の私は「え?」と固まった。というのも「予言」というからには、世界大戦とか、どこそこで大災害が起きるといった、人類的なスケールの話を期待していたからだ。「テロ」というと、当時は個人や少人数グループによる「事件」というイメージで、なんでその程度のことをわざわざ予言する必要があるのかと訝った。そして、極めつけはA氏が次のように続けたことだ。
「航空機を使ったテロが世界を震撼させることになるだろう。とりわけ、アメリカ人は飛行機に乗る時には十分に気をつけるように…」
前後が違うかもしれないが、「航空機」とか「アメリカ人」といった具体的な単語の出現に関して私の記憶に間違いはない。なぜなら、まさにその箇所で私は失望したからだ。
(アメリカ人は飛行機に乗る時に気をつけろ? はあ? なんだ、それ?)
ナンセンスだ、と私は呆れた。正直、失笑ものの内容だった。しかも、そう思ったのは私だけではないらしく、周囲の人からも興味が失われていくのを感じた。
あとはよく聞いていなかった。しばらくしてA氏は話を終えた。総じて、予言というわりには、どうでもいいような、馬鹿馬鹿しい内容であるように思われた。
ただ、念のためである。私は独演会を終えたA氏に挨拶して、その紙のコピーをくれるように頼んだ。しかし、彼は、今持ち合わせがないということで、住所を教えてくれたら後で送りましょうと提案してくれた。そこで私は名刺を渡して、よろしくと頼んだ。
だが、A氏はそれっきり忘れてしまったらしい。帰国後もその文書のコピーが郵送されることはついぞなかった。私も「まあいいか」と肩をすくめると、こんな“マイナーでつまらない”予言のことなんか、すぐに忘れてしまった。
言うまでもなく、この時の記憶は、2001年9月の同時多発テロ事件が起こるまで、眠り続けることになる。しかも、この予言を衝撃的に思い出して以降も、私は他人に話すことは控えた。どうせ誰も信じないだろうし、話したところで自分にマイナスにしかならないと思ったからである。つまり、公開するのは、今回が始めてなのだ。
この予言を聴いた人は、私を含めて十数名はいるはずだ。心当たりのある方はトカナ編集部まで連絡してほしい。とりわけA氏には、是非とも名乗り出て、予言の全文を公表していただきたいと思うのである。
サイババは詐欺師だったのか?
サイババは詐欺師ではないかと疑う人も多い。とくに“物質化”については、映像を見る限り、実に怪しい動きをしていると言わざるをえない。よって、疑われても仕方がないし、それは個人の自由だ。実際、何かを盲目的に信じるのはよくないことである。
しかしながら、「アガスティアの葉」とか「物質化現象」といった個別の事例にばかり拘泥していては、サイババの本質に迫れないのもまた事実である。
サイババを語る際に外してはならない二つの顔がある。
ひとつは「歌手としてのサイババ」だ。彼は事あるごとに、みんなで一心不乱にバジャンを唱和することを推奨している。それによって心が浄化されるばかりでなく、環境もまた浄化されるのだという。また、それが霊性修行でもあり、神へと近づく方法でもあるという。しかも、宗教家としてユニークなのは、彼自身が率先して歌うことだ。サイババは比類なき歌い手だと思う。メロディアスな声質を持って生まれた上、いつも情熱を込めて歌う。私は音楽というジャンルに疎いのだが、彼の歌を聞くと、それがプロの歌唱力に拠ることくらいはすぐに分かる。彼はたくさんのCDを出しているが、それは宗教家の趣味・一芸の類いではなく、すべて本物の歌手としてのアルバムだ。歌詞は常にクリシュナ、ラーマ、ゴビンダ、ギリバラといった神々や聖者を称えるもので、伝統的でありながら他方で大衆的かつ現代音楽的でもある。もしかして作詞・作曲まで手掛けているとしたら、彼は驚くほど才能に恵まれた歌手と言わざるをえない。
もうひとつは「説法師としてのサイババ」だ。彼はこれまでヒンズー教の伝統的な教義と平易な道徳が組み合わさった講話や演説を数限りなく行ってきた。日本ではそれほどでもないが、テレビ伝道師が活躍するアメリカのように、演説による宣教は世界的には宗教家として当たり前の行為とされる。特筆すべきはその内容と弁舌能力なのだ。
講話集としてまとめられたもの、あるいは同様の内容を反映した著作などを読む限り、極めて格調高い、というか、私が評価すること自体がおこがましい。新約聖書、クルアーン、ダンマパダ、スッタニパータ、バガヴァッド・ギーター、論語、墨子、老子…といった古今東西の聖典、さらには新興宗教の教義やスピリチュアルものの教えまで、ある程度読んだ上で言うと、サイババのそれは冠絶している。深遠な英知を含み、何度読んでも新鮮な発見がある。少なくとも、私には全知を動員してもこのレベルのものを書くことはできないし、人々を前にしてこのような気高い講話をすることもできない。
むろん、「別人が教義を作った」「スピーチライターがいる」と想像することは、私もやってみた。だが、サイババが大群衆を前にして、原稿やメモの類いをまったく見ずに、立て板に水のごとく、よどみなく話し続ける姿を見ると、やはり自分の中にある考えを自分の言葉で話しているとしか思えないのである。実際、アーシュラムに滞在した際、えんえんと一時間以上にもわたって精力的に演説を続ける彼を見たことがある。
以上、この「二つの顔」について、私の知る範囲では、あれほどのサイババブームにも関わらず、一般の話題になることはほとんどなかった。これはおかしな話だ。なぜなら、サイババがやっていることの大半はこの「歌」と「説法」だからである。だからサイババについて評価するならば、この二つの分野をメインにしないと公正ではない。そして、実際そうしたならば、このレベルの宗教家が世界にどれほどいるだろうか、という現実に気づくはずだ。
とにもかくにも、2011年、サイババは逝った。彼は半世紀以上にわたって地道に教えを説き、社会に貢献してきた。そして膨大な「歌」と「説法」を残した。それこそが、人類に対する彼の最大の遺産にして、本当の意味での「奇跡」ではないだろうか。
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