日本UFO研究事始めー「宇宙機」とその時代(2) ゼロ戦設計者・堀越二郎「UFOは三角オニギリ」

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画像は画像は「Getty Images」より

 作家の北村小松は、アーノルド事件の翌年、1948年(昭和23年)1月7日に起こったマンテル大尉事件のニュースを聞いてUFO(※)に関心を持ったという。

(※) UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)は、説明のつかない航空現象をすべて含むが、現在は「宇宙人の乗り物」という意味で用いられることが多い。そのため、現在アメリカ軍では「宇宙人の乗り物」という意味合いが強くなったUFOに替えて、説明のつかない航空現象に対し、「UAP(Unidentified Aerial Phenomena:未確認航空現象)」という呼称を採用している。最初のUFO目撃談とされる1947年の「ケネス・アーノルド事件」で、実業家のケネス・アーノルドが目撃した飛行物体について「水の上を滑る円盤のように」動いていたと描写したことから、宇宙人の乗り物を「空飛ぶ円盤(flying saucer)」と言うこともある。

●ケネス・アーノルド事件についてはコチラ

 北村小松は1901年(明治34年)、青森県に生まれ、慶應義塾大学英文科卒業後松竹キネマ蒲田研究所に入社した。最初は映画のシナリオを書いていたがユーモア小説にも手を染め、さらに戦時下では戦争協力小説を多く書いたことから、終戦後の1946年(昭和21年)には公職追放を受けて活動停止追放処分となった。

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北村小松(画像は「Wikipedia」より)

 マンテル大尉事件が起こったのは、この公職追放中のことである。

 事件が起こった1948年初頭、北村は病気で寝込んでいて、ずっとラジオを聞いていた。たまたま占領軍のラジオ放送WVTRを聞いていたところ、マンテル大尉事件について放送したというのである。

 このマンテル大尉事件とは、アメリカのケンタッキー州上空に円形の謎の飛行物体が目撃され、ケンタッキー空軍州兵所属のトマス・マンテル大尉が愛機のF51マスタングで追跡したところ機が空中分解して死亡したというものである。

 このときマンテル大尉からの通信には、「中に人がいる」というものがあったとか、機体の残骸に高熱にさらされたような跡があったという都市伝説もあるが、このような事実はない。

 事件直後空軍は、マンテル大尉は金星を目標物と見誤って上昇を続けた結果酸欠状態になって気を失い、コントロールを失った機体は空中分解を起こして墜落したと発表したが、ベテランの優秀なパイロットが金星を見誤るはずはないという批判が寄せられた。

 現在ではマンテル大尉が追跡した物体は、大型気球のスカイフックであるとされている。

 いずれにせよマンテル大尉の名は今も、UFO事件史上最初の犠牲者として記録されている。

 北村小松はこの事件のニュース以来UFOに関心を持ち、個人的に海外から資料を集めはじめた。公職追放が解除された後は少年向けの雑誌『ロケット』(少年文化社)1950年(昭和25年)8月号の特集記事「20世紀の驚異円盤ロケットの謎をさぐる」に「私はこう思う」という記事を載せて以来、さまざまな媒体にUFOについて寄稿するようになった。

 さらに1955年(昭和30年)に「日本空飛ぶ円盤研究会」が設立されると、請われて顧問となっている。

 北村が記事を寄せた『ロケット』1950年8月号には、他にも元大日本帝国陸軍飛行隊将校で航空評論家の小川利彦、無線が専門の青木浩、航空機エンジンの専門家今精一、そしてH.R.Kといった人物が寄稿しているが、タイトルに「円盤ロケット」とあるとおり、UFOの正体は円盤形航空機という前提でその実現可能性を考察する内容である。

 最後のH.R.K.は、じつは堀越二郎(1903~1982)の筆名である。

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堀越二郎(画像は「Wikipedia」より)

 堀越二郎は、旧大日本帝国海軍の名機零式艦上戦闘機(零戦)の設計者として世界的にも知られた航空技師である。群馬県藤岡市に生まれ、東京帝国大学工学部航空学科を首席で卒業後三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に入社、九六式艦上戦闘機や十二試艦上戦闘機、そして零戦と、次々に新鋭機を設計した。戦後は日本初の旅客機YS-11の設計にも参加している。

 堀越はまた、2013年に公開されたスタジオ・ジブリの新作「風立ちぬ」の主人公のモデルにもなったが、映画と時期を合わせて、所沢の航空発祥記念館で、「傑作器零戦と人間・堀越二郎」と題した特別展が開催された。

 この特別展で初公開の資料として公開されたのが、堀越二郎がUFOに関してしたためた文章であった。

 この文章は、堀越二郎が通常使用している罫線入りの用紙に書かれたもので、記念館ではその原稿用紙の写真を「空飛ぶ円盤に関する原稿制作年未確認」として展示した。記念館ではこの文章が何かの媒体に掲載されたかどうかは不明とし、また用紙に振られた番号から本来8枚あったはずの原稿のうち1枚が紛失していたため、当時は一部で憶測も呼んだが、内容を確かめると『ロケット』1950年8月号に掲載されたものと同一である。

 筆者はこの事実を確認した際、航空発祥記念館に、資料を提供した遺族の方にも伝えてほしいとしたためた手紙を添えて記事の写しを送付したが、返事はなかった。

 なお『ロケット』1950年8月号の記事で堀越は、UFOの正体は三角オニギリのような形の全翼機ではないかとしている。

文=羽仁礼

一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員、 TOCANA上席研究員、ノンフィクション作家、占星術研究家、 中東研究家、元外交官。著書に『図解 UFO (F‐Files No.14)』(新紀元社、桜井 慎太郎名義)、『世界のオカルト遺産 調べてきました』(彩図社、松岡信宏名義)ほか多数。
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