縄文の文様は「死と再生」のシンボル 縄文を現代人の全身タトゥーとして再現
今夜9時放送の「クレイジージャーニー」(TBS)は、「フィリピン・伝統文化の民族タトゥーを未来に伝える旅へ」と題して、民族タトゥーを追う大島托がフィリピン山奥のタトゥー文化が探られる。
過去にトカナでは縄文タトゥーの復興プロジェクトを進めるケロッピー前田氏にインタビューを行ったが、同プロジェクトは大島氏との交流の中で生まれたものだという。
以下、2020年のインタビュー記事を再掲する。
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※ こちらの記事は2020年5月8日の記事を再掲しています。
縄文時代と聞いて、思い浮かべるのは、狩猟採集をして暮らす人々、生命力にあふれる縄文土器、宇宙人にも見えなくはない土偶などなどだ。しかし、その縄文時代に生きていた人が全身にタトゥーを入れていたら、まったく想像を超えるワイルドな生活が見えてくる。そんな新しい視点のもとで書かれたのが、『縄文時代にタトゥーはあったのか』(国書刊行会)だ。著者のケロッピー前田氏に、企画の意図と縄文タトゥー、世界のタトゥーカルチャーについて聞いた。
「ブラックワーク(黒一色の文様タトゥー)」スペシャリストとの出会い
――本書を読ませていただき、改めてケロッピーさんの縄文タトゥーにかける情熱を感じました。冒頭のタトゥー作品群も目をひきますね。まず、本書を出すキッカケを教えていただけますか?
ケロッピー前田氏(以下、ケロッピー) 僕がタトゥーカルチャーの取材を始めたのは、1992年ごろでした。当時、入手可能な資料を収集するなかで、1969年に出版された高山純の『縄文人の入墨』という本とも出会っていました。ただ、「縄文時代にタトゥーはあったのか」という問題を具体的に考えるようになったのは、もっとずっとあと、2012年に『タトゥー・バースト』(コアマガジン)の取材で、タトゥーアーティストの大島托に会ってからですね。
――その大島托氏はどんな方ですか?
ケロッピー 彼は、黒一色の文様タトゥーで全身を飾る「ブラックワーク」のスペシャリストです。そのようなスタイルは、90年代には「トライバル・タトゥー」と呼ばれて世界的に流行しましたが、ゼロ年代以降、トライバル文様の発祥となったポリネシア(太平洋諸島)で民族タトゥーの復興が進み、伝統に根ざしたものがタトゥーの語源となったポリネシア語「タタウ」と呼ばれるようになって、現代的な作風と伝統的な作風との総称として「ブラックワーク」と呼ばれるようになっています。
托さんは、90年代から世界を旅してタトゥーを学んでいて、ポリネシアやボルネオを訪ねるばかりでなく、石器時代同然の生活をするメンタワイ族や最後の首刈り族ナガ族のもとも訪ね、最も原始的なタトゥーを経験的に学んできました。同時に、ヨーロッパでは現代的なブラックワークの彫師たちとも交流しています。縄文時代のタトゥーの復興プロジェクトというアイディアもまさに彼との出会いのなかで生まれてきたものです。
全身に縄文タトゥーを施したモデルは30人以上!
――本書のメインとなったプロジェクト『縄文族 JOMON TRIBE』の企画について聞かせてください。
ケロッピー 『縄文族 JOMON TRIBE』は、フォトグラファーとしての僕が托さんと立ち上げた縄文時代のタトゥー復興プロジェクトです。本のタイトルにもなっていますが、「縄文時代にタトゥーはあったのか」という古代の謎に、現代人の身体に縄文を彫り込むことで挑んでいます。2015年に始動して、翌年に国内で最初の個展、2017年にはドイツのフランクフルト美術大学HfGで展示、2019年には国内で2回となる個展を開催しています。
――僕も2016年の日本の展示は拝見しました。本の表紙にもなっていますが、全身に美しい文様が彫られています。このモデルさんたちは普段は何をしている方たちなんでしょうか?
ケロッピー このアートプロジェクトのコンセプトに賛同して、応募してくれた方々ですね。自営業の方もいれば、会社に勤めている方もいます。縄文タトゥーは全身に施すので、すでにタトゥーが入っている方より、縄文タトゥーと出会ったことがキッカケで真っ新な身体で飛び込んできてくれる方が多いんです。縄文タトゥーなら入れてみたいと強く思ってくれているところもポイントですね。
――いま、何人くらいのモデルがこのプロジェクトに関わっているのでしょうか?
ケロッピー タトゥーを彫るのは時間がかかるんです。週に1回から月に1、2回ほど通って背中全面で1年~1年半ほどかかります。現在は、国内で2回の個展をして、だいたい30人くらいを撮影しています。さらに10人ほどはタトゥー進行中です。
縄文の文様は「死と再生」のシンボルとしての蛇を意味する
――そもそも縄文時代にタトゥーは実際にあったのでしょうか?
ケロッピー 日本の酸性土なので、骨は残っても皮膚が残らないんです。それでも、明治時代からアカデミックな世界で「タトゥーがあったのか」という論争がありました。例えば、高山純は『縄文人の入墨』のなかで土偶の文様はタトゥーだったと書いています。また、紀元3世紀の『魏志倭人伝』には「黥面文身(げいめんぶんしん)」という記述があります。黥面は顔のタトゥー、文身は身体のタトゥーです。『魏志倭人伝』が書かれたのは3世紀ですがその当時にタトゥーがあったなら、その発祥は縄文時代末期にまでさかのぼることができるでしょう。
さらに僕らは縄文土器の文様はもともとタトゥーとして人間の身体に彫られていたのではないかと考えています。それは本書で解説している縄文やタトゥーについてのリサーチを通じてたどり着いた僕らなりの結論でもあります。
――縄文人はどのような目的でタトゥーを彫ったのでしょうか?
ケロッピー 現代においては、タトゥーは個人的なファッションととらえられています。だから。それぞれの個人が好きなものを入れればいいでしょう。でも、縄文時代では、民族例の習俗としての入墨にみられるように、大人になるための通過儀礼であったり、シャーマンにとっての呪術的な理由、魔除けなどの意味があったでしょう。実際、およそ100年前の沖縄には「ハジチ」と呼ばれる女性の手に施す入墨があり、それは少女が大人になるための成女儀礼といわれました。
縄文人の世界観については、北海道の考古学者・大島直行先生に依拠しています。直行先生は、縄文の文様は蛇であり、脱皮を繰り替えす蛇は「死と再生」のシンボリズムであるといいます。縄文人は「死にたくない」「死んでも生き返りたい」と願い、縄文を施した土器を作っていたというのです。同様に、もし縄文時代にタトゥーがあったなら、「死と再生」のシンボルとしての蛇、つまり、縄文を身体に彫っていたと考えられます。托さんも、タトゥーアーティストとして、民族や部族にみられるタトゥー文様をリサーチしてきたなかで、蛇のモチーフは世界各地で見られるものであったといいます。
縄文人が全身タトゥーをしていたというのは、今までのイメージを一変させる。次回は、古代のミイラの医療目的のタトゥー、日本から発信する新しいカルチャーについて、ケロッピー前田さんに語ってもらう。
ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』
大島托(縄文タトゥー作品)
国書刊行会
本体価格2400円(定価2640円)
【内容紹介】
漆黒でオーバーオールな古代の和彫が近現代の鎖を断ち切り日本を日本に戻す。菊地成孔氏(音楽家・文筆家)推薦!!
土器や土偶にえがかれた線、円、点、螺旋といった我々を魅了する幾何学的な文様。これらがもしも太古の人体にきざまれていたとしたら――。世界中に残る痕跡をたどり、太古に失われたタトゥーを現代人に彫り込み「モダン・プリミティブズ」へと身体のアップデートを目指す壮大な試み。
ケロッピー前田(けろっぴー・まえだ)
1965年、東京都生まれ。千葉大学工学部卒、白夜書房(のちにコアマガジン)を経てフリーに。世界のカウンターカルチャーを現場レポート、若者向けカルチャー誌『BURST』(白夜書房/コアマガジン)などで活躍し、海外の身体改造の最前線を日本に紹介してきた。その活動は地上波の人気テレビ番組でも取り上げられ話題となる。著書に『クレイジートリップ』(三才ブックス)、『クレイジーカルチャー紀行』(KADOKAWA)、責任編集『バースト・ジェネレーション』(東京キララ社)など。新刊本『縄文時代にタトゥーはあったのか』(国書刊行会)絶賛発売中!
公式twitter:@keroppymaeda
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