非人道的な理由から始まった帝王切開の歴史! 死んだ母親から産まれた子供がいる!?=亜留間次郎
【薬理凶室の怪人で医師免許持ちの超天才・亜留間次郎の世界征服のための科学】
現代では珍しくない帝王切開ですが、ローマ帝国皇帝に由来するぐらい古くから行われていた手術で、開腹手術としては世界最古と言えるほどです。
日本語の帝王切開はドイツ語の「Kaiserschnitt」の翻訳で皇帝(Kaiser)を切る(schnitt)手術を訳して帝王切開です。
帝王切開の帝王の由来はややこしくて、ローマ帝国では妊婦が出産時に死亡した場合は腹を切り裂いて子供を助けることが認められていました。
生まれた子供はラテン語で「切り取られた者」という意味でカエサル(caesar)と呼ばれました。
そんな子供の一人であるガイウス・ユリウス・カエサルがローマ帝国皇帝になったのでカエサルは皇帝の称号になりました。
つまり、帝王切開で生まれた子供が世界初の皇帝になったのでカエサルが皇帝の称号になり、そのドイツ語であるカイザーが翻訳されて帝王切開になったややこしい順番です。
ただ皇帝カエサルが本当に帝王切開で生まれたのかも諸説あってハッキリしていません、実際に帝王切開で産まれたのは皇帝になった人ではなく祖先説など色々言われています。
お釈迦様も帝王切開で生まれたなんて説があるぐらい古代から行われてきたらしい帝王切開ですかが、帝王切開が古代から行われてきた理由は極めて非人道的です。
1700年代まで帝王切開を受けた女性は確実に死亡していました。
古代から中世時代にかけて富裕層や権力者にとって女性は子供を産むための道具でしかありません。
優先すべきは跡取りになる子供の命であって母親ではありません。
つまり、出産できない時はお腹を切り裂いて子供を取り出して子供だけを助けました。
切られる母体の生存を考慮していなかったから古代の医学水準でも成立していたのです。
世界初の帝王切開生存者
帝王切開で母親が生存した最初の記録と呼ばれている事例は1500年ごろ、日本でいえば戦国時代中期ぐらいのスイスです。
スイスにはこの名医にちなんで名づけられたヤコブ・ヌファー通りがあります。
名前の由来になったヤコブ・ヌファー先生は記録に残る欧州で初めて母親が生存した帝王切開手術を成功させた人です。
恐ろしいことにそれ以前には信頼できる母体の生存事例が確認されていないのです。
なお、ヤコブ・ヌファー先生は獣医師で人間用の医師ではありません。
患者は自分の奥さんでその場に人間用の医師は居なかったそうです。
ヤコブ・ヌファー先生は獣医学ではなく人間の医学の方で名前を残してしまいました。
牛の帝王切開は歴史が非常に古く、1500年当時には牧場ではかなりの割合で成功していたといわれています。
獣医だから家畜用の技術を人間にやったら成功した可能性が考えられます。ただ、次の成功例が記録されたのが200年以上後なので実在を疑問視する説もあります。
なんとか母親が生きられる可能性が出てきた1800年代になって、ドイツで1801年から1830年にかけて行われた帝王切開の統計をとったグスタフ・アドルフ・ミカエリス先生によると母体死亡率50%、子供の死亡率35%
フランスでアルフレッド・ベルポー先生が1832~1842年にかけて調べた帝王切開の調査ではパリ医大では成功例無し、地方病院では母親の半分が死亡、子供の3人に1人が死亡だそうです。
ちなみに、この年代のパリ医大は医者が誰も手を洗わず超絶不衛生だったことで有名です、パリ医大でタルニエ教授が消毒を徹底させたのは1870年以降の話です。昔の帝王切開ではそれぐらい母親が死んでいた賭けでした。
母子ともに生存率が劇的に向上したのは1876年5月21日にイタリアの産婦人科医エドアルド・ポロが子宮卵巣全摘出帝王切開を開発してからです、この術式では母体死亡率が10%にまで劇的に下がりました。
しかし、子宮ごと胎児を取り出してしまうので二度と産めなくなる欠点がありました。この時の手術で摘出された子宮は標本になって現存しています。
それから1881年9月25日にドイツでフェルディナンド・アドルフ・ケーラーが行った新しい術式が登場すると死亡率が下がりました。
この帝王切開を受けたエミリー・シュルッサーさんは当時28歳で34歳まで6年あまり生きていました。
生まれた子供は69歳まで生きたので当時の平均寿命から言えば大往生です。
1882年(明治15年)にケーラー先生が論文にまとめ、帝王切開後の子宮二重縫合術を発表すると帝王切開で死亡する割合は1%台まで劇的に下がりました。
帝王切開による出産は明治時代も中頃になってから安全にできるようになりました。
帝王切開自体は二千年以上前に存在していたのに安全になったのは140年ぐらい前からです。
帝王切開のチート無効化特性
帝王切開がローマ帝国皇帝にまで遡る古いモノであることから、帝王切開で生まれると何かのチート能力が付いてくるみたいな思想があります。
有名な逸話がシェイクスピアのマクベスです。
作中で主人公のマクベスには「女が産んだ者には倒されない」チート能力があって無双していました。
マクベスは最後にチート能力を無効化する能力を持つマクダフによって倒されました。作中の設定だとマクダフは「私は母の腹を破って出てきた」帝王切開で生まれた人間だったのです。
「one of woman borne=女から生まれた者」という表現は新約聖書にも現れる慣用句で通常は「全ての人間」を意味して例外は神が作ったアダムとイブです。
シェイクスピアがマクベスの話を書いた1606年頃のイギリスのマタイによる福音書11章11節にはこう書かれていました。
「あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」
ルカの福音書7章28節にも同様の記述があります。
「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」
シェイクスピアはこれを「one of woman borne=女が自然に生んだ者」と解釈して帝王切開で不自然な生まれ方をした人間にはマクベスのチート能力が効かないと設定しました。
帝王切開は古くから教会も認めていたにもかかわらずシェイクスピアは自然の摂理に反する存在と定義しました。
シェイクスピアのマクベスは1606年頃に成立したと言われ、作中時間は実在したスコットランド王のマクベスが1057年に死んでいるのでマクダフも1000年代初頭の生まれのはずです。
執筆当時でも作中年代でも帝王切開は母親が確実に死んで子供も一割程度しか助からなかった時代です。
現代なら帝王切開で生まれた人間は珍しくありませんが、作中年代ではマクダフは超レアキャラだったのです。
死後の出産
もう一つの不自然な出産とされる事例に母親の死後の出産があります。
欧米で一般的な死後出産(posthumous birth)と言えば妊娠中に父親が死亡したことを指しますが、母親の死体から生まれる棺内分娩(Coffin birth)と呼ばれる子供の話があります。
古くはスペイン異端審問で絞首刑になった妊婦から胎児が産まれ落ちた話があります。
ただし、落ちてきた胎児は死んでいたそうです。
現実的に妊婦が死亡すると胎児への酸素供給も絶たれるのですぐに死んでしまいますが、胎児はある程度の時間は耐えられるので母親の死後すぐに母胎から分離して呼吸を始めれば助かる場合があります。
実際に1990年にアメリカのオハイオ州で19歳の母親の心停止から22分後に死後帝王切開によって産まれた事例があり、この子は生後18か月までの追跡調査で異常は無かったそうです。
現代日本の漫画ベルセルクの主人公、ガッツは首をつられた妊婦から生まれ落ちたところを傭兵に拾われて育ちました。
母親が死んですぐに生まれ落ちれば助かる可能性はあったのかも知れません。
ガッツの異常な強さの秘密はマクベスを倒したマクダフのような特殊能力なのかもしれません。
参考:「Infant survival following delayed postmortem cesarean delivery(PubMed)」「Postmortem and Perimortem Cesarean Section: Historical, Religious and Ethical Considerations(NCBI)」
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