10年後に“骨”だけ発見、乗員全員が“蒸発”した幽霊船… 海に消えた6つの“未解決”海洋ミステリー

海は、時に容赦なく、数え切れないほどの船乗りとその船を飲み込んできた。タイタニック号のように、その悲劇が詳細に記録され、語り継がれる船もある。しかし、その一方で、何が起きたのか全く分からず、乗組員ごと歴史の闇に消え去った船もまた、数多く存在する。
それらは一体どこへ消えたのか。船乗りたちに何が起きたのか。ここでは、何世紀にもわたって専門家を悩ませてきた、最も不可解で、最も恐ろしい6つの海洋ミステリーを紹介しよう。
1. 幽霊船メアリー・セレスト号(1872年)

1872年12月、大西洋アゾレス諸島沖で、一隻の船が漂流しているのが発見された。船の名は「メアリー・セレスト号」。発見した船の船長は、わずか1週間前にニューヨークで、この船のベンジャミン・ブリッグズ船長と食事を共にしたばかりだった。
船に乗り込んだ船員たちが見たのは、異様な光景だった。船長のブリッグズ、その妻と幼い娘、そして7人の乗組員、計10名の姿はどこにもなく、船はもぬけの殻。しかし、船倉の積荷であった工業用アルコールや、十分な食料と水、乗組員の私物などは、手付かずのまま残されていた。
唯一なくなっていたのは、救命ボートだけ。航海日誌にも、争った形跡も、何一つ異常は記されていなかった。
積荷のアルコールが気化し、爆発を恐れた乗組員がパニックに陥り、一時的に救命ボートへ避難したという説が有力だが、真相は誰にも分からない。ブリッグズ船長と彼の家族、そして乗組員たちの姿を、二度と見た者はいない。
2. 反乱の果てに…探検家ヘンリー・ハドソンの最期(1611年)

1610年、北西航路発見を目指していたイギリスの探検家ヘンリー・ハドソンは、現在のハドソン湾で氷に閉じ込められ、厳しい冬を越すことになった。翌年の夏、心身ともに疲弊した乗組員たちは帰国を要求したが、ハドソンはこれを拒否。ついに、乗組員たちは反乱を起こした。
反乱者たちは、ハドソンと彼の10代の息子、そして彼に忠実だった数人の船員を小さなボートに乗せ、氷の海に置き去りにした。彼らがその後どうなったのか、正確な記録はない。しかし、一つの奇妙な手がかりが、先住民イヌイットの口承に残されている。
ずっと昔、長い白ひげの老人と少年を乗せた小さな木造船が岸に流れ着いた。老人は亡くなったが、少年は村へ連れて行かれ、逃げないように家に繋がれた――。この少年が、ハドソンの息子だったのだろうか。謎は深まるばかりだ。
3. ジョイタ号の謎(1955年)

1955年10月、南太平洋で25名の乗客乗員を乗せてサモアを出航したモーター船「ジョイタ号」が消息を絶った。数週間後、フィジー近海で発見された船は、ひどい有様だった。
船は大きく傾き、窓は割れ、腐食したパイプからは海水が流れ込んでいた。無線は国際救難周波数に設定され、船内の時計はすべて午後10時25分で止まっていた。そして、医療キットには血の付いた包帯が残されていた。
救命ボートや航海計器、そして乗っていた25名は、すべて跡形もなく消えていた。船体にはコルクの断熱材が使われており、浸水しても沈まない構造だった。乗員が負傷し、パニックになった人々が船を見捨てたのか、あるいは保険金目当ての自作自演か。ソ連の潜水艦や海賊の仕業という説まで囁かれたが、真相は闇の中だ。
4. 忽然と消えた豪華客船SSワラタ号(1909年)

1909年7月26日、200名以上の乗客乗員を乗せ、南アフリカのダーバンを出航した豪華客船「SSワラタ号」。翌日、別の船がワラタ号と交信し、「すべて順調」との信号を受け取っている。しかし、その後、ワラタ号はケープタウンに到着することはなかった。
巨大な“ならず者波(rogue wave)”に飲み込まれたという説や、嵐で積荷が崩れて転覆したという説が有力だが、その残骸はひとかけらも見つかっていない。当時「不沈船」とまで言われた最新鋭の船は、なぜ、どこへ消えたのか。その答えは、今もインド洋の深い海の底に眠っている。
5. 10年後に見つかった“骨”―サラ・ジョー号の悲劇(1979年)
1979年2月、ハワイ・マウイ島から5人の若者が小型モーターボート「サラ・ジョー号」で釣りに出かけた。しかし、天候が急変し、彼らは荒れ狂う波の中に姿を消した。大規模な捜索も虚しく、ボートの痕跡さえ見つけることはできなかった。
しかし、その約10年後の1988年、悲劇は奇妙な形で結末を迎える。ハワイから3000km以上離れたマーシャル諸島の無人島で、朽ち果てたサラ・ジョー号が発見されたのだ。そして、そのそばには、人の手で作られた粗末な墓と、そこから突き出た人間の顎の骨があった。
骨は、行方不明になった5人のうちの一人、スコット・ムーマンのものだと判明した。一体、誰が、いつ、彼を埋葬したのか。墓のそばで見つかった、中国の儀式で使われる紙銭から、違法操業をしていた中国の漁師が遺体を発見し、弔ったのではないかと推測されているが、他の4人の行方は分かっていない。
6. 4つの骸骨―捕鯨船エセックス号の謎(1820年)

1820年11月、巨大なマッコウクジラの襲撃を受け沈没した捕鯨船「エセックス号」。生き残った船員たちは3隻のボートに分乗し、2000マイル離れた南米大陸を目指した。極限の飢えと渇きの中、彼らは死んだ仲間の肉を食べて生き延びた。
数ヶ月後、2隻のボートの生存者は救助されたが、3隻目のボートに乗っていた3名は行方不明となった。しかしその数ヶ月後、太平洋のデュシー島で、3人ではなく、4つの骸骨を乗せたボートが発見された。4人目の骸骨は一体誰だったのか。嵐でボートが離れ離れになる直前に亡くなった別の船員の遺体を、食料として運び込んだのではないかと推測されているが、真実を知る者はもういない。
科学が進歩し、世界のほとんどが解明された現代においても、海はその深淵に、人間の理解を超えた秘密を隠し続けている。その謎こそが、私たちを惹きつけてやまないのかもしれない。
参考:MENTAL FLOSS、ほか
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2024.10.02 20:00心霊10年後に“骨”だけ発見、乗員全員が“蒸発”した幽霊船… 海に消えた6つの“未解決”海洋ミステリーのページです。幽霊船、海洋、未解決事件などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで