クリエイターが言う「作風」って何なの? 映像作家・大月壮インタビュー
【大月壮(アートディレクター)インタビュー】
コマーシャルの世界では際立ったセンスでエッジの効いた映像を作る一方で、「バカ走り」のように、並の作家なら作品としての発表をためらうような(!?)バカかっこいい映像作品を生み出す大月壮とは一体、何者なのか――?
前回は、大月壮氏の大ヒット作品『バカ走り』(大月壮/BARTS DVD)で表現された「人間が持つ普遍的なアホな魅力」について伺ったが、今回は大月氏が普段の仕事で撮影している映像作品について伺った。まずは、氏が監督を務めた日本のロックバンド・APOGEEのPVをご覧いただきたい。
■関心があるのは社会の仕組み
――大月さんはお仕事ではAPOGEEのPVのようないキレイでカッコイイ、いかにもプロフェッナルという映像を作ってらっしゃいます。かたや、「バカ走り」のように、ともすると、おふざけ作品と勘違いされかねない映像も作られています。その振り幅が大きいと思うんですね。中心はどのあたりにあるんでしょうか?
大月 ないですよ。その時々でしかなくて。行き当たりばったりなんですよ。たまに同業の人で目的意識がはっきりしている人っているんですよね。そういう人と話すとホント背筋が伸びる思い。Chim↑Pomもそうなんですけれど、「覚悟が必要だ」って言ってたりして。僕、そういうの聞くとグサッっときちゃうんですよ。なんの覚悟もないから(笑)。「ヤバイもの作り続けていくぞ!」っていう気合いはあるんですけどね。その都度その都度に興味の対象があって、それに素直でいるだけなんですね。だから、APOGEEのPVを作ってた時には、あんな感じのユルいアニメーションが好きな時期だったんで、ああいう雰囲気になったわけです。その頃は、今よりも考えることが内面に籠っていましたね。朝起きると宇宙のことを考えてるような。
――そうなんですか?
大月 「よし、今日も俺は宇宙に存在している。さあ、何をしようか」みたいな(笑)。
――哲学的なスパイラル。
大月 哲学的というか、家の中で寝てたら視野が狭くなりすぎて宇宙と繋がっちゃったみたいなね。
――(笑)。
大月 社会を見ていないんですよ。社会をすっとばして宇宙を見ていた時期…。なんかこうお金、経済みたいな人間社会の仕組みとかそういうことをなにも考えずに、超根源たる仕組みである宇宙にいるような時期が、APOGEEのPVを作った頃です。
――「バカ走り」の頃は?
大月 だんだんとですが、もっと社会に向き合うようになってきた時期ですね。友達の影響とか自分の年齢とか、理由は色々あると思うんですけれど。
――ちなみに今はどんなモードなんでしょうか?
大月 今は、完全に社会モードですね。もうお金の話とか大好きですよ。
――お金ですか(笑)。
大月 「三菱商事」とか聞くとボッキしますもん。もっと知りたい三菱商事、みたいな(笑)。時間潰しに日経新聞を読んでいたら、三菱重工とフランスの企業がどうのこうのとか書いてあって、「うわー、世界はこういうダイナミックな動きをしているんだ」ってもうこのあたり(下腹部)がジュワー、みたいな(笑)。「やっぱり金か、世の中金か」って、最近はホントに社会のことが気になります。
――興味の対象が宇宙から社会へ、ですね。
大月 「仕組み」への興味なんですよね。考えてみると、宇宙が気になっているときも「存在の仕組み」みたいなものへの興味だったんです。宇宙はなぜ存在しているのか意味が解んない、ってずっと思ってたから。「存在している」ってことについてのクエスチョンマークが凄く大きくて、毎日ずっとそれに向き合っているような時期もありました。でも、そのハテナは解けないやっていうことで、今はもう一旦脇に置いてあります。で、存在へのハテナをとりあえず脇に置いて地球上を見てみると、そこにも何か理解しがたいハテナがあるわけですよ。それが、いまの地球の権力の仕組みとか、どうして戦争に誘導されていく感じがするのか、そして世界はどこへ行くのか、みたいな。
――N.W.O(笑)。
大月 (笑)。N.W.Oとか言うと陰謀論みたいな感じに捉えられるけど、安倍首相だってヨーロッパで開かれてた会議で普通に「新しい世界秩序」とかって言ってますし常識ですよね。グローバリズムとお金で一元化していく世界の動きとか凄く好きですよ(笑)。
※N.W.O=ニューワールドオーダーです。インタビュー中は、「超ニューワールドオーダー」というフレーズで盛り上がっていた。
――それが作品に反映されることはあるんでしょうか?
大月 どうでしょうね。今のところはまだないです。ただ、反映させたいとは思っていますよ。自分の趣味的なものがそういう方向になっているから。趣味と作品を一致させる瞬間が欲しいじゃないですか。そろそろそいう作品を作りたいとは思っているんですけど、どのように作品に落とし込むかの形がまだ見えてこないんです。ウイットに富んだ切口を探してはいるんですよ。ウイットに富まないとこの手のテーマはそれこそ致命傷にもなるし。
――期待しちゃいます。
大月 僕ね、機会がないと作品を作らないんですよ。仕事のオーダーがあってから作りはじめるタイプなんで。仕事をしていないときはボーっとゲームをやったりしてるのが本当に好きなので、自主的に作品を作ることはほとんどありません。「アホな走り集(バカ走り)」くらいですね、自発的に作ったのは。
■興味の対象が変わることで、作品の強度が維持される
――大月さんのそれぞれの作品には初期衝動の持つ強さのようなものが感じられます。キャリアを積んでいくうちに知恵やノウハウが身に付くことで、作品の持つ勢いのようなものが次第に衰えていくのが普通だと思うんです。大月さんはどのようにそういう勢いを維持しているんでしょうか?
大月 僕、作風がコロコロ変わっているんですよ。そのとき興味がある題材や制作の手法があると作品を作れるんです。たぶん、それがその時々の初期衝動みたいなものなのかと。自分が映像を作り始めた時の初期衝動とは違う意味合いで、その瞬間その瞬間に新たな衝動があるんですよ。なのでN.W.Oに対する初期衝動じゃないですけど、新しい切り口を思いついて、ビーンとボッキした瞬間に強さがある、…そういうことなんじゃないかと思います。
――モチーフが変わることでその都度新しい衝動が起きるというわけですね。
大月 そうです。僕、すぐ飽きちゃうんですね。ドット絵の作品を連作してもいるんですけど、それは、スペースシャワーTVの人にアドバイスされたからなんですよ。「大月君はどの作品も1回きりで終わっていくから続けたほうがいい」って。
――続けてみて、何か気付いたことはありましたか?
大月 続けたら続けたでいいことがあるんもんですね。認知しやすくなるから露出の機会が増えたりとか、作例が増えた分そのテイストに対しての安定感を感じてもらえたりとか。ただ、続けることだけが大事とは全然思わないです。むしろ、作風を貫くっていうことはクソあざとい行為だと思うんですよ。
――作家が自分の作風を貫くことはあざといことですか?
大月 本当にそれだけしかできないって人はいますよ。アウトサイダーアーティストのように、同じ作風のシリーズしか作れない人が。そういう人は神童のような人で超かっこいいと思う。でも、彼らの作風と僕みたいなクリエイターが「作風」って言って続けていることの意味合いは違っていて、そういうのはあざとい行為だと思うんですよ。僕自身もそのあざとさと旨味を引き受けてそうしているだけであって、本当はそんな一貫した作風なんかは別にどうでもいいことですよね。それよりも「常に初期衝動を感じる」とか「作品が強い」とかそういうマインドの方が大事。
――あえて作られた自分のスタイルみたないなものですね。
大月 それでももし僕の作った映像を見て「どれも大月君ぽいよね」っていうようなことを言われるのであれば、それはきっとクセみたいなものだと思います。良いクセも悪いクセも含め、それは素直に喜ばしいことですね。
――自然と表れてしまうクセのようなものが作家性と呼ばれるものなのでは?
大月 そうだと思います。でも作家性なんて重たい言い方をする必要なんかない。滲み出るものって考えるのと、自分自身の作風を作らなきゃ作らなきゃって躍起になるのは、なんか違う気がします。
――あえて作風を作るということは、作家の戦略だとも思うんです。
大月 そうですね。その戦略性を否定してしまうと生きて行くのが辛くなっちゃいますからね(笑)。あまりにもマジメ過ぎるというか。なので、そのへんはあざとさを理解して旨味を抱えてヘラヘラするしかないですね。別に重要なことじゃないので。
――嘘のない、本気で筋の通ったものがお好きなんですね。反面、小手先でどうにかしたモノマネのようなものに強烈な違和感と嫌悪感を感じる。
大月 そうかもしれません。「バカ走り」でも出演者に「オリジナルのスタイルを見せろ」みたいなことを言ってたわけですからね。その気持ちは結構強いかもしれない。
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