28歳のカレンはなぜ怪死した? ― 原子力関連企業を内部告発した女性の「最期の7日間」
今からほぼ40年前の1974年11月のある深夜─―。28歳の女性の運転する車が、対向車線をはみだし、道路下の暗渠(あんきょ)に激突して、大破した。
ハンドルを握っていたのは、プルトニウム工場の労働者で、労働組合の活動家でもあるカレン・シルクウッド(Karen Silkwood/1946─1974・11・13)。警察はこれを単独の自動車事故、つまり自爆死と結論づけて幕引きをはかった。だが今日、彼女の死を疑いの眼で見ないものは1人もいない。捜査当局とFBIつまりアメリカ政府、そして全米の原子力関連企業とを除けば――。
原子力関連企業カー・マギー社に就職
カレンは1946年2月19日、テキサス州に生まれ、同州のネザーランドで育った。1年間、州立大学に通った後、1965年に石油パイプラインの労働者と結婚し、3人の子供をもうけた。しかしその後、1972年に離婚。単身、オクラホマシティに移転する。この時彼女は、5歳の長女に「ちょっとタバコを買ってくるから」と言い残して、家を出たという。長女のほかに残された2人の子供はそれぞれ3歳、18カ月だった。
やがて彼女は、オクラホマ州のクレセントにほど近い、原子力関連企業カー・マギー社(Kerr-McGee)の運営するシマロン・プルトニウム製造工場(the Cimarron plutonium plant)で、時給4ドルの技術者として働きはじめた。彼女が受け持った仕事には、放射性プルトニウムのペレットが詰まった燃料棒(fuel rods)を研磨する作業が含まれていた。
健康と安全について調べる→嫌がらせが始まる
カレンはすぐさま、石油・化学・原子力労働組合(Oil, Chemical & Atomic Workers Union)に加わり、シマロン工場でのストライキに参加した。これが失敗に終わったとき、労働者の多くが組合を離れたが、交渉委員会のメンバーに選ばれたカレン(彼女は、組合の歴史の中で、この地位についた最初の女性だった)は、工場労働者の健康と安全の問題を熱心に調べだした。すると、盗聴やさまざまな嫌がらせが始まったのだ。
まもなく彼女は、欠陥のある換気設備や、放射性物質のずさんな管理、また不十分なシャワー設備などが、労働者の汚染物質への暴露(放射線に被曝すること)を引き起こしていて、これが多くの健康規則に違反することに気づいた。
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