【戦後70年特集】変人参謀・黒島亀人のおぞましい“奇策”!!
【戦後70年特集】特攻作戦の考案者 ― 変人参謀・黒島亀人のゾッとするほど恐ろしい“奇策”!!
シャーロック・ホームズや古畑任三郎など、フィクションの世界では、人並み外れた天才はしばしば変人として描かれている。だが、我が国の太平洋戦争下において、まさにそんな架空の天才のような人物が実在したことをご存知だろうか? その男こそ、周囲から「変人参謀」「奇人参謀」と呼ばれ、奇策を次々と考案していった黒島亀人(くろしま かめと)だ。
■海軍内でも異端の存在
大日本帝国海軍に所属し、連合艦隊司令部の先任参謀だった黒島。山本五十六長官の信任も厚く、長官の意を受けて真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を立案した実績の持ち主だが、その生き方はまさに変人そのものである。
旗艦『長門』において黒島は、日夜自室に籠って作戦の想を練っていたというが、「部屋の中には書類やゴミが散乱」し「煙草やお香によって常に強烈な異臭を発して」いたそうだ。
また、身なりにも無頓着な黒島は、ほとんど風呂にも入らずに「裸同然の姿で艦内をうろつく」ため、これらの振る舞いは軍律の厳しい戦艦内においてしばしば批難の対象になっていた。しかしその度に山本長官が黒島を庇っていたというから、どれほどまでに黒島の発想力が期待されていたかが伺える。
■“特攻隊”の考案
批難を浴びながらも、常人には考えもつかないような作戦を次々打ち出し一定の名声を勝ち得ていった黒島だが、山本というブレーキ役の戦死により、その発想は暴走を始めていく。
1943 年 7 月、軍令部第 2 部部長に就任した黒島は、海軍首脳会議の席において、必死必殺の戦の手段として、戦闘機による衝突撃の戦法を挙げた。これが、結果的に 9,500 人以上もの若者の命を奪うことになった、史上最も非道な作戦ともいえる“特攻隊”の始まりである。特攻作戦の発案者をめぐっては、大西瀧治郎中将が「特攻の生みの親」として知られているが、実はこの黒島が発案者だという説も根強いのだ。
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